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ボスニア内戦:スレブレニッツァ「虐殺」ビデオの衝撃
昨日のNHKクローズアップ現代「“虐殺”の傷は深く~紛争終結から10年 ボスニアはいま」をみました。このなかで今年6月に公開されたらしい、ボスニア内戦中の1995年にスレブレニッツァで「民族浄化」の名の下に行われた「虐殺」の証拠となるビデオ(の一部)が映し出され、それを受けて、現在も民族別に教育が分かれていたり、互いに不信感を払拭できていない現状をレポートしていました。

この番組を見たあとで、最近、ボスニア内戦のドキュメンタリーを録画していたことを思いだし、引き続きみてみました。12月17日NHK-BS1で放送された「ボスニア内戦 10年目の真実」で、さきほどあげた「虐殺」ビデオを中心に構成された番組でした。これをみてまず思ったのは「1990年の湾岸戦争はリアルタイムで注目していたのに、(時系列ではそのあとの)1992年から始まったこの内戦のことはよく覚えていないし、『虐殺』もかなり後で知った(それもどの民族がどの民族をなのかも知らない、単に『虐殺があった』という程度)」ことです。報道量が少なかったのか、それともわたしが漠然と「流し見」「流し読み」していたのか。おそらく後者でしょう。

この番組は、対峙する当事者(セルビア人民兵組織[セルビア秘密警察部隊=スコーピオン指導]と国連軍[オランダ軍])双方のハンディカメラで撮影されたビデオ映像が構成の柱になっていたことで、強烈な緊迫感・臨場感を感じさせるものでした。
たとえば、わずか600人のオランダ軍が守るスレブレニッツァ――安全地帯とされており、ムスリム人(イスラム教徒)2万人以上が周辺から集まっていた――を包囲したセルビア人民兵組織のムラジッチ将軍(いまだに逃走中)がオランダ軍司令官カレマンス大佐を呼びつけて行われた会談の場面は「恐怖」そのものでした。

問題の「虐殺」場面は、クローズアップ現代では放映されなかった部分も流されました。捕虜となったムスリム人6人のうち4人がまず撃たれます。カメラのアングルは彼らを背中から映しています。セルビア人たちはにやけています。一人ずつ撃たれ、瞬間にドタッと崩れ落ちます。すでに死んでいるだろうに、さらに連射します。残った二人が死体の片付けを命じられ、その後かれらもやられました。決して血が飛び散るような映像ではありませんでした。ハリウッド映画のリアルな残酷シーンは見慣れているとしても、これが「現実」の映像だと思うととても正視できそうもない気持ちを抑えて見はしましたが、ドッと汗をかいていました。

冷戦終結によって「箍(たが)」がはずれたとたんに、領土拡張・資源確保が目的ではなく、「憎悪」から生じた争いです。それも昨日まで隣人同士のです。最終的に虐殺されたムスリム人は8000人に上るといわれています。いまも「旧ユーゴ戦犯国際法廷」での裁きが続いています。

このビデオの公開が今年の6月で、全世界に衝撃を与えた、といわれているのにわたしは迂闊にも知りませんでした。それで「スレブレニツァ(スレブレニッツァ) ビデオ」で検索してみましたが、意外に新聞社サイトの記事が少ないのが驚きでした。ふたつの記事を掲載しておきます。

毎日新聞 2005年12月21日 21時08分

ボスニア紛争:イスラム教徒虐殺で民兵指導者らの公判開始

 ボスニア紛争中の1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ東部スレブレニツァでイスラム教徒約8000人がセルビア人勢力に虐殺された事件に関連して、セルビア・モンテネグロの特別法廷は20日、イスラム教徒6人を殺害したとして当時のセルビア人民兵組織指導者ら5被告に対する公判を開始した。

 5被告を含む計6人が95年7月、サラエボの南約60キロで、スレブレニツァのイスラム教徒6人を殺害する模様を映したビデオテープが今年、人権団体によって公開されていた。(ウィーン共同)


Yomiuri Online から配信をうけたgooニュースのキャッシュより

2005年 6月 4日 (土) 20:33

イスラム教徒虐殺ビデオ、セルビア人社会に動揺広がる

 【ウィーン=石黒穣】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の1995年7月、イスラム教徒約8000人が犠牲になったスレブレニツァの虐殺で、残忍な殺害場面を写したビデオが初めて公になり、これまで事件に目を背けてきたセルビア人社会にも動揺が広がっている。

 ビデオはセルビア人民兵組織がイスラム教徒の若者6人に暴行を加え、銃で殺害するまでを記録している。トラックから降ろされた若者たちは両腕を後ろ手に縛られ、その前で銃を振りかざす民兵たちの人相もはっきりわかる。後から殺される若者が、先に殺された仲間の遺体を運ばされる場面もある。

 ビデオは民兵自身によって撮影されたもので、ベオグラードの人権団体が入手し、旧ユーゴ戦犯国際法廷(オランダ・ハーグ)で1日、証拠として上映された。続いて、セルビア・モンテネグロのテレビ各局でも放映され、同国の警察は4日までに、ビデオから特定された7人を逮捕した。

 ミロシェビッチ元ユーゴ大統領は、同法廷で、スレブレニッツァ虐殺をめぐってジェノサイド(集団殺害)罪を問われている。だが、セルビア人社会には紛争時代の残虐行為を否定する空気が強く、ボスニアの元セルビア人勢力指導者カラジッチ被告ら大物戦犯が逃亡を続けられる土壌となっている。

BBC NEWS 参考記事
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この記事へのコメント
Re:ボスニア内戦
>1992年から始まったこの内戦のことはよく覚えていないし、『虐殺』もかなり後で知った(それもどの民族がどの民族をなのかも知らない、単に『虐殺があった』という程度)」ことです。報道量が少なかったのか、それともわたしが漠然と「流し見」「流し読み」していたのか。おそらく後者でしょう。

94年だったか95年当時、イギリスのニュース番組でも新聞でも連日のようにボスニアヘルツェゴビナが扱われていました。
ある日の新聞の第一面に、とんでもない写真が載っていたのを覚えています。
記事によると、川岸にムスリムが一列に川へ向かって並ばされ、その背後からセルビア人が後頭部を銃で撃ち抜いたのだそうです。遺体は当然、川に落ちます。全員を射殺した後、川に油を流して火を放ったということでした。
民族浄化についても、集落を襲われたムスリムの生存者の証言が紹介されていました。あるムスリムの一家が武装したセルビア人たちに襲われたときのことだそうです。セルビア人は、一家の男衆を道路脇の木に縛り付け、その目の前で女衆をレイプし、その後、男衆を銃で撃ち殺したという内容でした。ムスリムにセルビアの血を混ぜて、ムスリムの純血を根絶やしにするためだそうです。

僕が知っている限り、日本ではこういった生々しくあまりに残虐な内容は報道されていなかったと思います。(おそらく、事の真偽の確認が出来ないからではないでしょうか。)
2006/03/29(水) 13:53:46 | URL | 名無し #-[ 編集]
Re:ボスニア内戦
>名無しさん
"現地"である欧州に比べると、やはり当時日本ではこの事件に関するリアルタイムでの報道量は少なかったのでしょうね。さらに、どうしても「対岸の火事」という感覚から抜けきれませんし、テレビや一般紙はショッキングな写真や映像を控える傾向にありますから、それでなおさら関心を集めることがなかった、ということなのかもしれません。
2006/03/31(金) 12:00:22 | URL | 管理者 #-[ 編集]
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