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わたしが近ごろかんがえていることを徒然なるままに...
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本日も朝日の社説は快調です
今日の朝日新聞に「公明党 影の薄い今こそ」と題する社説が載りました。
一部を引用すると

 公明党は自民党と連立を組んで6年になる。振り返ってみると、イラクへの自衛隊派遣など自民党との協調、協力ばかりが目立つ。残念ながら、公明党らしさを発揮できたとはとてもいえない。

 靖国神社への首相参拝の中止。新たな戦没者追悼施設の建設。永住外国人への地方参政権の付与。企業・団体からの迂回(うかい)献金の禁止……。せっかくこうした独自の主張をしても、自民党は取り上げようとしなかった。

 連立は「政権参加」だけが目的だったのではないか。だから自民党に足もとを見透かされているのではないか。こう思わざるを得ない場面も少なくなかった。(*1)

 そこに、この選挙結果である。自民党は、憲法や教育基本法の改正などこれまで公明党に配慮して控えてきた動きを本格化させるかもしれない。

 公明党の支持母体である創価学会は、戦時中に宗教弾圧を受けた。その苦い経験から憲法や教育基本法の改正などに抵抗感が強い。支持者の期待に応えるためにも、公明党はこうした問題に無神経であっていいはずがない。(*2)

 衆院では数が減ったとはいえ、小選挙区の選挙で自民党を下支えしたのは公明党だ。参院での与党多数は公明党の協力があってこそだ。自民党に少しも遠慮する必要はない。

(*)は引用者が付加しました


(*1)
「こう思わざるを得ない」どころではありません。まさにそのとおりなのであり、政権にあることが大先生をお守りするという究極の目的に合致するのであります。(神崎代表の口調をお借りしました)
朝日もそれを重々ご存知でありながらこのようにしか書けないのですね。

(*2)
「戦時中に宗教弾圧を受けた」などとお庇いになって。たしかにそういうときもあったかもしれませんが、今は押しも押されぬ「大カルト集団」であることにはまったく触れられていませんね。

わたしのような者でも「引っかかった」社説ですから、もっと激しい反論が多くのブログや雑誌で発信されるのはまちがいないでしょう。
しかし、自分でははっきり非難できない事情があるために、あえて世間からの批判を呼び込むためツッコミやすい主張を朝日様は展開したのではないでしょうか。しろうとなりにこうヨミましたがいかがでしょう。
同日の社説のもう一つ「大相撲 多国籍化は面白い」も無理矢理外交に結びつけており、これも朝日様の面目躍如といったところです。
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「ステレオ鑑賞」ってきいてあなたピンときますか
この週末、久しぶりにCDをしっかり鑑賞することができました。この場合「しっかり鑑賞」とは何かしながら流し聴きするのではなく、PCや携帯プレーヤで聴くのでもなく、(たいした代物ではありませんが)ピュアオーディオ機器の前に座って集中して聴くことを指しています(「ステレオ鑑賞」といいかえてもいいと思います)。ときおりライナーノーツなどを見ながら本当にこのような時間を過ごすのは久しぶりのことだと実感していました。
はっきりしないのですが、ここ半年もしかすると一年近くのあいだ、何をかけてもなぜかすぐに集中力が欠けて飽きていたのです。どんなにフェバリットな盤をかけてもです。ですから実感はないものの、「ステレオ鑑賞」そのものに飽きてしまったのかと思ったこともありました。しかし今回そうでなかったことがわかって、ひとまずほっとしている、というよりも、非常に安堵しているというのが本音です。「ステレオ鑑賞」はわたしの趣味の最大のものといっていいからです。

この変化はおそらく精神的なものかと思っていますが、だからといって特に最近いいことがあったとか、心境の変化があったとかということはありません。こころの深層のほうでなにかあったのでしょうか。そもそも、すぐ飽きるようになったきっかけというものがあったのかも不明です。
今後、気持ちよく「ステレオ鑑賞」ができるかどうかを精神状態をはかる目安のひとつとして気に留めておこうと思います。

昨日から今日にかけて聴いたアルバムを記念に記しておきましょう。

  • Dixie Chicken

  • Extra Texture

  • Monk's Music

  • Imagine

  • Mind Games

  • Wednesday Morning,3AM

  • Sounds of Silence


おくればせながらピーター・ジェニングス氏を悼む
鈴木宗男氏が今回の総選挙で当選しました。いまかれは刑事被告人として係争中です。そのことはなんら立候補および当選を無効にするものではないのですが、なんとも釈然としません。何らかの事件を起こして会社をクビになり無職になった一民間人が裁判の係争中に就職活動をし、めでたく職に就くことが現実に可能でしょうか。もちろん可能性はゼロではないでしょう。しかし、裏の世界のお仕事でないかぎり、たとえ温情にあつい経営者に運良くめぐり会えたとしても、最低限「君の無罪が決まったら」あるいは「刑期を終えたら」という条件がつくのではないでしょうか。(やはりこのような幸運は非現実的と思われます)

「立候補の自由」が認められる根拠について調べたところ、以下のことがわかりました。

選挙権については、憲法に明文上規定されているが、被選挙権については、「立候補の自由を憲法15条1項の保障する人権の一つである(最判昭43・12・4)」と判例で認めているにすぎず、憲法の明文に規定されていない。

結果的に鈴木氏のテレビでの露出度がかれを当選させたのではないでしょうか。
かれは前回の参院選にも立候補してこのときは落選しましたが、今回は北海道ブロック比例区というより広範囲の有権者がターゲットになりました。時間の経過とともに人々のかれに対する懲罰的な感情も薄れ、折からのテレビ報道によって同情もしくは「おもしろキャラ」にながされての投票につながったのではないでしょうか。毎日ワイドショーを見ていれば一種「洗脳」されたようなものです。

同様のことは執行猶予中である辻元清美氏にもいえることだと思います。しかし、その恩恵に浴した最たるものが小泉首相を筆頭とし、連日報じられた女性候補者たち、そしてなだれをうつように票が集まった自民党です。
選挙が終わって二週間が経とうとしていますが、やれ「初登院」だ、やれ「新人研修」だといって件の女性議員を中心にくだらない報道をつづけているテレビにはほとほとあきれるばかりです。(選挙後「ヒラリーマン」と称するアホ兄ちゃんや男みたいなピンクおばさんといった新キャラがさらに加わりました。メディアはネタがふえて大喜びのことと推察します)

昨日9月22日、NHK-BS1で19時からの「ピーター・ジェニングスからのメッセージ」を見ました。かれは「マイケル・ジャクソンや子殺し事件は他の番組に任せる」とし硬派なワールドニュースに徹しました。もちろんアメリカでも「マイケル」ネタをあつかうワイドショーが主流であり視聴率を取っているのかもしれません。しかし対極には、ジャーナリストとしての矜持を保ったアンカーがニュースを「まじめに」伝える番組が存在し信頼されているのです。一方日本ではどうでしょうか。田原、久米、筑紫等のキャスターといわれる人たちがいますが、相手を煽って嬉々としているような、どうしても視聴者の目を引きつけるためのあざとさが目立ちます。見てるほうもそれが「演じ」られているのをなかば承知の上で楽しんでいる面があります。

昨日の故ピーター・ジェニングス氏の番組を見たジャーナリストも少なくないはずです。そして氏のスピリットを感じたはずです。日本でもあのようなキャスターを擁した番組が一日もはやくあらわれることを期待してやみません。しかしそのためには結局視聴率には頓着しない番組作りをすることになり、現状ではNHKにしかできないことなのでしょうか。
さらに我が国のメディア界には「記者クラブ」や「広告会社」といった独特の縛りがあります。はたしてこれらを打破し、正常で健全なジャーナリズムに脱却するときがくるでしょうか。
日本はほんとうに「世界の一等国」なのだろうか
例えば党首討論において小泉首相と野党党首とで丁々発止の緊迫した議論が展開されたことが一度でもあったでしょうか。はぐらかし・ワンフレーズ・絶叫調。それを止められない自民党。首相就任当初はともかくとして(わたしも期待した一人でした)、いまだに支持率が高いというのはどうしても理解できません。

そもそも一国のリーダーが血相を変え絶叫して議論や演説をするとはどういうことでしょうか。リーダー自らがアジテーターとなっている現状をわれわれはどう捉えたらよいのでしょうか。そしてそれを異常と感じることもなく熱狂している人々を。
今盛んにヒトラーとそれに熱狂するドイツ国民の構図になぞらえる人がいますが、自公政権が継続されることになれば本当に大変なことになりそうです。オーバーにいうと政治と宗教の独裁者がますます跋扈する時代の始まりです。

最近再読している「岩波新書・井上清著『日本の歴史・下』」で次のような現在と酷似した状況をあらためて確認しました。

過去に日本は日露戦争に勝ったことで「世界の一等国」になったと勘違いし、欧米と伍して帝国主義的発展をしていくために軍拡し続け、その流れの中で軍部独走を許す結果となりました。その実それは借金(外債)に頼ったものでした。
夏目漱石の「それから」に当時の世相を記述した部分があります。

日本ほど借金をこしらえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。此借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債ぐらいは返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争する蛙と同じことで、もう君、腹が裂けるよ。

膨大な借金を抱え先行きがみえない状態。これは100年前と同じではないでしょうか。「前回」は結局、最終的に敗戦という名の破綻でその幕を一旦閉じました。今回はたとえ戦争への道は歩まないにしても、このままでは経済的に同様の結果を招来するのではないでしょうか。もちろんあと5年後、10年後といった目先の話ではないでしょうが、「今生きている人たち」は先送りすることでその確率を確実に高くしています。もし多くの人が危機感をもっているのならば、パフォーマンス政治に踊らされることなどないはずなのですが。非常に残念なことです。

第二次大戦後、日本は自他ともに認める「世界の一等国」になったはずですが、最近とみに見られる右も左も一斉にケータイをかざして写真を撮る異常な「構図」、この一点だけをとってみても、果たして「一等国」にふさわしい国民に成長したかどうかはなはだ疑問です。

とまれ、今回の総選挙はどっちが勝つにしろ大きな転換点となることは自覚して投票行動を起こすべきだと考えています。
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