I have something to say
わたしが近ごろかんがえていることを徒然なるままに...
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農作物ドロボーに天罰くだされかし
わるい意味での「風物詩」になってしまったコメ(稲)・リンゴなどの農作物の窃盗被害。夏のメロン・西瓜なども被害にあっていますから、もはや通年の現象といってよいかもしれません。

はじめの頃は精米したコメや収穫物を小屋から盗み出すものでしたが、いまでは田畑で実を付けている状態―生産者の苦労が報われる喜びの頂点のとき―を「収奪」するという悪質ぶりです。
やるほうにすれば、屋内での盗みと違い、開け放たれた空間におカネが転がっているという感覚なのでしょうか。なんという世の中になってしまったのでしょう。「盗み」に優劣などありませんが、たとえばゲームソフトを万引きするのと、他人の稲を刈って盗むのとでは、あくまでもわたし個人の感覚ですが、後者のほうが人間のプリミティブな営みを破壊しているようで、よりおおきな罰(ばち)が当たってほしいと願いたくなります。

阪神淡路大震災の際、略奪行為が起こらなかったことに対して海外はこれを驚きの目で見ました。自国であればとうてい防ぎ得ないことだという一種畏敬の念のこもった驚きであったと想像します。
しかし、どうでしょうか、また不幸にして都市での災害が発生し街が空っぽになるような事態になっても略奪など起こらないと断言できるでしょうか。
すくなくともあのころは農作物を田畑や小屋からごっそり盗むなどということが頻発する世の中ではありませんでした。
最近ではエアガンの発砲事件も続発しています。かつて世界一安全な国といわれましたが、ほんとうに隔世の感があります。

店内での警備や監視カメラ設置などとおなじような措置を講じようにも、田畑という広大な地域をカバーする人員・コストの負担を考えると、よほど余裕のあるところ以外は実行できないでしょう。たとえ巡回による「見張り」だけだったとしてもどれほど負担になっていることでしょうか(それも自然環境の変化などであれば仕方がないとあきらめがつきますが、ひと握りのアホどものためなのです)。

どうして、以前にはなかった「(大量に盗む)農作物どろぼう」がこれほど日常的になったのでしょうか。経済的な格差の広がり、学校・家庭での教育(しつけ)の低下などの結果でしょうか。アメリカ型社会を追求し続けた結果、「モラル」は経済よりも一足さきに本家なみのレベルへ追いついたようです(これアメリカからの「年次改革要望書」にありましたっけ?)。
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Stevie Wonder is Back
先日、あるCD新譜の寸評でStevie Wonderの"A Time to Love"が取り上げられていて、「"Hotter than July"以来の傑作」と書かれていました。わたし自身、彼の作品は1970年代前半の「三部作」そして"Songs in the Key of Life"と好んで聞いてきましたが、まさに"Hotther~"のあとのアルバムには食指が動かないまま過ごしてきました。

80年代に入ってUSA for Africaへの参加("We are the World")あたりからでしょうか、アーティスティックな面よりもエンターテイメント寄りの姿勢がみえてきたのは。
その後かれをたまにテレビで見ると―たいていはチャリティーコンサートなど複数のスターが一堂に会する催しでの場面でしたが―その度に「往事の栄光で食っている」ように感じられてすごく寂しい思いに駆られ、同時に、かれほどの才人でもイメージの泉が枯れてしまうものなのだろうかと思ったものです。

ですから今回の寸評の「~以来の傑作」という表現は、「それ以降駄作が続いていた」ことの裏返しですから、評者の感性はたまたまわたしと一致していたわけです。果たしてその「傑作」というだけの新作はどういうものか、がぜん興味をかき立てられました。

そこでまず世間の評判を探るべくamazonallmusic.comのレビューをみてみました。allmusicでは「星4つ」であり、4つ以上というのはやはりここでも"Hotter~"(4.5)以来初めての評価になっています。どうもまちがいなさそうです。

といいながら、さっき、"A Time to Love"ゲットしました。一聴したところですが、バラード・ファンクともすばらしく、まさに"Key of~","Hotter~"時代のものです。わたしは大いに満足しています。
そして「Stevie Wonder is back」と高らかに宣言します。
毎日新聞のニュースサイトにクレーム申します
最近ある新聞紙上で読んだ記事の内容をたしかめたくて、たしか毎日新聞だったよなと思って、毎日新聞のwebにいってみました。
その感想は、前にも同じ経験をしていたことを忘れていましたが、「なんと使いにくいサイトなのだ」ということです。探している過去の記事までどうにもたどりつけないのです。

このサイトのURLはwww.mainichi-msn.co.jpなのですが、マイクロソフトとの提携サイトであり、サイト構築に関してもサポートを強力にうけているはずと考えるのは不自然ではないでしょう。なのに、この使いにくさ、内容の貧弱さはなんなんでしょう。
以前ココで書きましたが、新聞社のサイトなのですから、もう少しましなものを作ってください。

それからもうひとつ「難癖」をつけさせてください。
さきほど毎日新聞のURLをwww.mainichi-msn.co.jpとかきましたが、正確なサイトの名称は「MSN毎日インタラクティブ」なのです。要は、朝日のwww.asahi.com、産経のwww.sankei.co.jp、読売のwww.yomiuri.co.jpに該当するものです。
mainichi-msn.co.jpに変わったのは昨年からだったでしょうか。それまではmainichi.co.jpだったのです。そのため、いまでは、上記各社のように単純に会社名.co.jpのつもりでmainichi.co.jpとすると、ニュースサイトではなく会社そのもののページに入ってしまいます。

マイクロソフトとの提携であろうがなかろうが、ユーザに向けた看板はmainichi.co.jpであるべきではないでしょうか。自社のネームバリューを生かしていないばかりか、ユーザの利便性からみても、会社名.co.jpで飛んだ先で間違いに気づいてからもうワンクリックすることになる不親切さは、まったくマイクロソフトのサポートを受けているとは思えないのですが。
MLB:優勝の翌日FA宣言、ドライです
日本では城島・松坂のメジャー移籍があるかと話題になっています。そのMLBではきょう、ワールドシリーズで優勝したChicago White Soxの主力のひとりであるPaul Konerkoが、はやくも―日本では優勝の翌日発表というのはあまり想像できないが―FA宣言しました。
ワールドチャンピオンが連覇できない要因として、このように主力であろうがどんどん移籍してしまうのがあげられるでしょう。「連覇」はそれほどおおきなモチベーションにはならないということでしょうか。

蛇足ですが、Konerkoを「コナーコ」と表記しているところがありましたが、現地音声からすると「コネルコ」あるいは「コネーコ」ではないでしょうか。またA.J. Pierzynskiを日本では「ピジンスキー」と読み書きしていましたが、現地音声からはどう聞いても「ピジンスキー」としか聞こえないのですが、どうなんでしょうか。

さきほど、今年のフリーエージェントのリストをみていましたら、#印付きのプレーヤは"Player and/or Club option"がある人たちだ、との注釈があるのです。このオプションとはどういうものなのだ、ということで調べてみました。

例えばこういうことのようです。3年契約プラス4年目をオプション契約をしていたプレーヤは、3年目終了時点で来シーズン(4年目)の契約を続行するかどうかを決めます。その選択権が球団(club)にあるのかプレーヤにあるのかというもののようです(相互にある場合もある)。つまり、球団側に選択権があれば、実績から判断してそのプレーヤを必要とすればオプションを行使(またはオプションを破棄して改めて複数契約など)するわけです。ちなみに、球団からオプションを破棄されたのが今期オフでの薮(Athletics)のケースです。

いまさらながらですが、FAの権利というのは、いくら現所属球団との契約が残っていてもそれをご破算にして移籍、あるいは現球団との新たな契約ができるということなのですね。(かならずしも高く買ってもらえるとは限らないですが)

ところでYankeesはA-Rod,Jeterと10年契約(A-Rodは前球団からの継続か?)していたと記憶します。この「10年保証」があるからでしょうか、A-Rodには「石にかじりついてまでも」といったガッツが感じられません。アンチA-Rod派としては、あらためて欲しいのではなく、この姿勢を貫いてもらいたいですが。
MLBワールドシリーズ終了:もの足りなさ残る
MLB World SeriesもChicago White Soxのスィープで終ってしまいました。カードとしては期待していましたし、ClemensとPettitteのゲームを支配する投球をもういちど見たかったのですが..。Yankees時代の両名は応援できなかった(したくなかった)のですが、あのチームを離れれば話はガラリとかわります。とくにClemensはいつ引退になるかわからないのでなおさらだったのです。緒戦ではアクシデントで早々と降板してしまいましたが、第5戦の登板が予想されていただけに残念です。Oswalt、Backeを加えた投手陣で4連敗するとは予想外でした。蛇足ながら、Lidgeの何度かの失敗をみて、逆にMariano Riveraのすごさを再認識させられました。

試合ごとにみると好ゲームが続いたのですが、シリーズとしてはもっと競ってほしかったところです。フリーエージェント制によって、今では主力がながく同一チームにとどまるのは珍しい中、18年のBiggio、14年のBagwellがHouston一筋だったのも心情的に好ましくおもっていましたので、もうすこし見ていたかったです。
結果的にはプレーオフ11勝1敗で勝ち抜けたChicagoの圧勝といってよいでしょう。

あとにはWorld Baseball Classicが控えているようですが、どれくらい一線級が参加するのか、またプレーヤがモチベーションを保もてるのかが疑問ですし、わたし自身は、イチロー・松井等の参加にかかわらず、あまり期待していません。ちなみにWorld Baseball Classicのホームページもしっかり準備されています。

MLBの話題ついでに、Yankeesの次期センター候補の記事がありました。"Yanks turn focus to center field"
Torii Hunter,Juan Pierre,Jonny Damonなどがあげられるなか、松井についても記述がありました。

Yankeesは松井と再契約すると見られる。松井はメジャーでの487試合中レフトで393試合、センターで77試合(うち'05年は28試合)プレー。日本では中堅手であり、慣れていないポジションではない。松井をセンターに持ってくると、おそらくレフトは新たにBrian Gilesあたりを獲得するかもしれない。

Yankeesをはなれて別のチームへいけば、彼を応援する目もあったのですが、当分それはなさそうです。
中国でのネットの縛り
「中国では今後もすさまじい勢いでの経済成長が見込まれる」とは、さまざま機会をとらえて何度も聞かされています。共産国での市場経済という特殊な状況に「人類」はいま初めて直面しているのでしょうか。そうであれば、西側諸国にとってはマイナスとなる不確定要素は多々あるが、いま「降りる」わけにはいかないのだ、ということなのでしょうか。それとも、新しい形での植民地とすべく着々と実行の最中なのでしょうか。

中国が今の体制のまま予想通り経済成長していったとして、それに伴って国民もどんどん「賢く」なっていくはずです。そのなかで、さまざまな不公平・矛盾・抑圧に対する反発は今以上に大きくなるのは容易に予想できることです。

当局はなるべく「賢くさせない」ために国家的ファイアウォール(通称Great Firewall of China)で監視・制限を行っていることは周知のことですが、BBC Newsに"China's tight rein on online growth"という記事がありました。
以下に、意訳して箇条書きにします。

  • 1994年中国にインターネットがはいってから、現在のユーザは1億人にのぼる
  • 数年後には1.85億人のアメリカを抜き、最終的には7.5億人に達すると予想される
  • 「ファイアウォール」とて完璧ではなく、ユーザは西側に立ち上げたプロキシサーバを通して、禁止されている情報(チベット、法輪功、SARS、アダルトなど)を得ている
  • 禁止サイトをみたり、海外からのメールをうけられるプログラムが出回っている
  • チャットやカキコミでの過激な発言など好ましからざるものは、自動検閲システムによって数分で除かれるようになっている
  • 現在54人が違法な情報をネット上に流した罪で投獄されている
  • ある識者曰く「現実世界よりサイバースペースを監視するのはずっと簡単である」

このような「監視社会」がいずれ破綻することは歴史が証明しています。真実が広く行き渡ったとき、その反発のエネルギーの向かい先はどこか。それくらいは中国共産党も承知のことでしょう。時間の問題であり、おそろしく大きなXデーだと思います。
「野球留学」心情的にはわかるが...
昨日のNHK「クローズアップ現代」で高校野球の越境留学を取り上げていました。この議論になると、必ずでてくるのが、「学校選択の自由ではないか」、「大学進学の越境はどうなのだ」という(主に肯定派の)意見です。そういわれると確かにそうなのですが、なにか感覚的に釈然としないのです。

今夏出場のある代表校はベンチ入りも含めて地元出身者が2名だけだったそうです。
例としては、大阪・兵庫など学校数が多くまた強豪校もひしめいているところでは、自分が入学した学校がかならずしも甲子園出場できるわけではく、それ以前に強豪校に入ってもレギュラーになれるかどうかもわからない。
それならば、県全体のレベルはそれほど高くなく、常連校が数校に固定されているような後進地の有力校に留学することで確率が大幅に高くなる、というのが甲子園出場に絶対的な価値をおく人たちにとってはごく自然な帰結なのでしょう。

A地域で自分は「中の上」だが、B地域へ行けば「最上」に位置できるからそこへ活を求めて行こう。会社経営や商売でもこれはごく自然な動きです。では、野球留学が腑に落ちないのはなぜでしょう。「あの学校の監督にあこがれて」ならばまだしも、そうではなく、「より甲子園に出場しやすいから」という動機が気に入らないのです。しかし、これも基本的には「高校生らしさに反する」という説得力に欠ける感情論と同様で反対の根拠としてはよわいものです。

そのあこがれの甲子園ですが、大会の効率性という観点から見ると、毎年同じ球場一カ所だけで全試合を行うというのは異常な運営方法ではないでしょうか。ウィンブルドンで予選から決勝までをすべてセンターコートで行うようなものです(芝のいたみなど細かい点はこの際問題にしないとして)。
もはや、この祭りあげすぎてしまった「聖地」としての甲子園の価値はかわらないのですから、老朽化などで現球場がなくならないかぎり、今後もこの悪弊のまま続けられていくのでしょう。

高校バスケットではアフリカからの「国際留学」もみられます。結論めいたことを言うと、是非はともかくとして「自由競争社会」なのですから、野球(および他の人気スポーツの)留学の流れはこれからも進む一方でしょう(もし、規則によって禁止の方向に動くようなことがあれば、それはそれで大問題です)。そして結果的に、「オラが地域の学校」という地元との一体感は当然希薄になり、当事者の学校関係者と父兄だけが喜んでいることなるでしょう。

いますでに始まっていますが、日本でのスポーツの王者に君臨していた「野球」は崩壊しつつあります。(ここでいう「野球」はいわゆるbaseballではなく「日本の野球界」を指しています)
ここ20年くらいをみると、ラグビーは注目・人気を落とした最たるものでしょう。野球がいま同じ道をゆっくりですが確実に歩んでいると感じています。
「だから、あまり甲子園、甲子園とがむしゃらになるな」といってもきかないでしょうが。
なんなんだ!経団連(≒トヨタ)の異常な親中国ぶりは
東京新聞webによると「経団連首脳が極秘訪中」とのことです。
記事によると、ここひと月はつぎのような経緯だそうです。

9月26日
奥田会長、訪中し温家宝首相と会談
9月27日
奥田会長、小泉首相と面会。温首相との会談について報告か
9月30日
奥田会長、"極秘"訪中し胡錦濤国家主席と会談
10月17日
小泉首相、靖国神社参拝
10月19日
奥田会長、北陸地方経済懇談会で「小泉首相の靖国参拝は日中間の政治に影響を与えているが、経済には大きな変化はない」

この中国の日本政府と財界への態度の「使い分け」で、わたしは、歴史上のある一場面を思いだしました。

秀吉亡きあと、豊臣家滅亡を虎視眈々とねらう家康は、臣従の意思を見せない豊臣家に対し、江戸へ赴いた家老の片桐且元に対しては「硬」、その後別ルートで向った秀頼の乳母(大蔵卿局だったか)一行に対しては「軟」とまったく異なる態度で接し、大阪方内部の不信感をあおって(且元のちに出奔)、最終的に「大阪の陣」の一要因になりました。そして家康の野望も成就しました。

中国の狙いが、日本の外交と経済の方向性の違いをついているのは間違いのないところですが、それにしてもトヨタはこのような「茶坊主」役を続けていて大丈夫なのでしょうか。さて小泉さん、経団連からは多額の献金をうけていますし、どう出ますか。
公明党「議員年金」への執着はなぜ
いま国が行おうとしている財政改革―なかでも公務員の給与引き下げ―について「相反する」内容の記事をたまたま続けて見ることになり、その好対照ぶりにいささか苦笑を禁じ得ないでいるところです。

記事はともに東京新聞webからのもので、ひとつは10月21日朝刊「教員給与引き下げで一致 財政審、優遇法廃止求める」
記事の概要はつぎのとおりです。


  • 小中学校の教職員給与(本俸)が一般地方公務員を11%上回っている

  • 校長経験者の年金が各省事務次官よりも多い

  • 残業手当に相当する教職調整額(給料の4%)が基本給に組み込まれているため、退職金や年金も割高になっている


上記は一九七四年に施行された人材確保法による優遇策なのだが、法施行時と異なり公立学校の教員採用試験の競争倍率が〇四年度で七・九倍になるなど、高給で人材を集める時代は終わった、として財政制度等審議会は引き下げをもとめていく。

もうひとつは、日付が前後しますが、10月20日夕刊「議員年金全廃案に 公明、異論相次ぐ」。これは小泉首相の「暫定措置なしの即時廃止」を承けてのものですが、記事の一部を抜粋します。

冒頭、冬柴鉄三幹事長が、来年四月から議員年金を全廃する新たな与党案を説明した。これに対し、出席者からは「資力のある人しか国会議員になれなくなり、優秀な人材が集まらなくなる」「首相官邸のひと言だけで従来の案を変えてもいいのか」などと異論が相次いだ。

「資力のある人しか国会議員になれなくなり、優秀な人材が集まらなくなる」というのは、初めにあげた、教職員確保目的の優遇策廃止のながれの対極にあるものといえるでしょう。いかにも「これから議員をめざす逸材」に顧慮しているようですが、「自分たちが所有している特権」でもあるわけで、やはりそれを手放したくないととられても仕方のない物言いです。「まず隗より始め」ることで国民は国のヤル気を感じられるのです。ここでゴネてなんの得があるのでしょう。

国のカネならば「地域振興券」などをばらまく党ですが、自分自身がカネに執着していないことはすすんで明らかにしようとしないのですね。人徳を疑われることは恥ずかしいことではないのですか。このような人たちに「仏罰」はくだらないのでしょうか、おかしいな。
審判のミスジャッジ続いたMLBプレーオフ
Houston Astrosが、今日、チーム創立後初のワールドシリーズ進出を決めました。しかし、この試合ではまたもアンパイアが大きなミスコールをやらかしてしまいました。

5回裏St. Louis Cardinalsの攻撃。ノーアウト1・2塁で、ピッチャーRoy Oswaltが自分へのやや強い打球をとめ、2塁へ送球しましたが1塁側へそれました。2塁カバーに入ったショートAdam Everettがなんとかダイビングチャッチしました(このとき足はベースから離れている)が、すぐ手前にいた1塁ランナーYadier Molinaはうまくタッチをかいくぐるようにして2塁ベースに達しました。

2塁塁審Greg Gibsonは初め腕を横に広げ―このとき1塁ランナーはまだ2塁ベースに達していませんがどういう意図だったのでしょうか―、その直後2塁へ達したとたんに、「アウト」を宣しました。しかし、リプレー映像では「タッチしていない」ことは明らかです。さらに、そのときの2塁塁審のポジショニング(ダイヤモンドの内側、通常フォースアウトを見るのには適した位置)ではタッチプレーが死角となっていたのです。見えない位置でコールしたのですから、「カン」で判定したといわれても仕方のない状況です。しかし、判定は当然のごとく覆ることはありませんでした。ESPN.comによると、試合後、審判クルー主任のTim McClellandは「Gibsonは他の同僚審判に意見を求めなかったが、もしよく見える位置に他の審判がいて明らかに間違ったコールだと判断していれば、助言したはずだ」と語ったようです。

この「誤審」がなければCardinalsはノーアウト満塁とチャンスを広げたことになり、どういう展開になっていたかわかりません。
それにしても今年のリーグ・チャンピオンシップ・シリーズは両リーグとも審判団にとって受難のものとなったようです。

  • WhiteSox攻撃時、振り逃げ判定(セーフ→サヨナラ勝ちへ)

  • WhiteSoxキャッチャーの守備妨害(認められず)

  • Angels守備時、1塁走者への牽制アウト(認められず→走者得点へ)

  • Cardinals攻撃時、広すぎるストライクゾーン(抗議で2人退場)


全体的にみると、きわどいプレーでもリプレーをみるとたいていは審判が正しいことが証明されています。しかし、今回はその逆が続出してしまい、今日のケースも含めてすべて不利な判定をされたチームが敗れる結果になったため、審判への不信感が大きくクローズアップされています(現地のwebやラジオでは"controversy"という単語が頻繁に見聞きされています)。

さて、ワールドシリーズですが、Houston-ChicagoSoxというカードはおもしろそうではないですか。(別のクルーでしょうが)審判団にも奮起を期待します。
パ・リーグ「プレーオフ制度」再考
パ・リーグのプレーオフですが、制度としてどうしても納得がいきません。もういちど考えてみます。

MLB,NFLなどの場合はリーグ(NFLはカンファレンス)内に地区優勝チームが複数あるため、総合1位を決めるためには必然的にプレーオフを行わなければなりません。そこへさらにワイルドカードを加えることで興趣を昂めています。
対してパ・リーグはどうでしょうか。半年間のレギュラーシーズンを通して既に1位チームは決まっています。複数1位というものが存在しないのですから「総合1位」という考え方がそもそもありあえないのです。リーグを盛り上げ観客をよびこむための「プレーオフありき」だったのは周知の通りです。ホームフィールドの権利やゲーム差に応じた勝ち数を与えるなどして、上位チームのアドバンテージを考慮してはいますが、そもそも根本にあるべきプレーオフを実施する「正当性」がまったくないではありませんか。この「興行」を最優先にしたことを「改革」と呼ぶなら、やはり球界のお偉方は何もかわっていないとわたしは思うのです。

このプレーオフ制度は今年で2年目ですが、いまでは批判的な声はあまり上がっていないのでしょうか。まして今回ホークスが0勝2敗から2勝2敗に戻したように、シリーズ自体の流れが盛り上がっているかぎりにおいては支持されそうにみえます。
しかし、どうしてもプレーオフをやりたいのなら、なぜ前後期制を採らなかったのでしょうか。これならば以前の実績があるうえに、「総合1位」を決めるという大義名分が十分になりたつのですが。しかし、そうしなかったのは、「たしかに正当性はあるが、前後期ともに同一チームが優勝してしまえば"興行"がやれなくなってしまう」という一点からではないでしょうか。

以上のように、現行のプレーオフ制度は相当に瑕疵があるとみますが、少なくとも「正当性」「大義名分」が保たれる次の案はどうでしょうか。

  1. 6チームを3チームずつ(東西など)にわける(「ディビジョン」と呼ぶのも恥ずかしいがいちおうそう呼ぶ)

  2. ディビジョンの区分けはできるが、現行の対戦テーブル(対戦相手5チームごとのホーム・アウェイ試合数)は変更なし

  3. ディビジョンの1位チーム同士が「正当性」のある「総合1位」をあらそう
    (こんどはホーム&アウェイでちゃんと行き来しあう)

  4. ディビジョンの2位チームもワイルドカードとして加えた4チームでのプレーオフであれば「興行」目的にもさらに沿える


上の4.の記述は、6チーム中4チームがプレーオフ進出できますが、現行と大差ないことですし、それよりも再三いうように、プレーオフの「正当性」の根拠があきらかになることが最大の眼目であることを強調したいのであります(w)。
以上、現在のプレーオフ制度に一石を投じたい一念からの「ただのジョーク」でした。
MLB ALCS第2戦での不可解な「振り逃げ」、誰が悪い
昨日のMLB ALCS Chicago White Sox - Los Angels Angels 第2戦の「振り逃げ」について、主にスポーツ関連サイトをみて、わたしなりの考えをまとめてみました。

まずは明らかな状況はこのようなことがらです。

  1. 主審は3ストライク後、腕をあげている

  2. (規則ではないが)通常、バウンド(hit the dirt)した場合、主審は「ノーキャッチ、ノーキャッチ」と叫ぶが、このときそのコールはなかった

  3. キャッチャーJosh Paulはバッターへタッチせずにボールをマウンドに転がしてダグアウトへ向った


もしバウンドしていれば捕ったキャッチャー本人がタッチしようとするはずですし、その余裕がなかったというプレーでもありませんでした。したがってノーバウンドでの捕球はまちがいないでしょう。しかし判定するのはあくまで審判なのですが、かれは腕はあげながら明確なコールをしませんでした。それをPierzynskiは「アウト」のコールがないとして1塁へ向ったのです。

本来はこの三振によって何事もなく攻守交代し、延長戦へ突入していたのです。しかしPierzynskiが一旦ダグアウトへ戻りかけて、その後1塁へ走りだしたことから、主審の心理に次のような変化が生じたのではと推理します。

「あれ?(あまり自信なかったんだが)キャッチャーはノーバウンドで捕ったと思ったんだけど。でも(キャッチャーにより近い)Pierzynskiが走るということはバウンドしてたのか。それじゃ振り逃げ成立だな。」

試合後、主審は「腕をあげたのは単に3つ目のストライクを示しただけ」、「いろんな角度から(リプレー)映像を見たが、ボールの方向が変わっている(バウンドしている)」とコメントしていますが、実際にバウンドしていたかどうかよりはっきりしたコールがなかったことが問題なのです。

このプレーでわたし個人がランキングする悪いヤツは以下の通りです。

  1. バッターA.J. Pierzynski
    キャッチャーがファンブルしたり後逸したりしているわけではないのだから、「スキをついた好プレー」というよりせこい、もっといえばスポーツマンシップにもとるとみます。同ポジションプレーヤとしてタッチしにこないことの意味は充分理解しているはず。

  2. 主審Doug Eddings
    判定を変えたと思われる。バウンドしていたなら「ノーキャッチ」をコールすべきだった。誤審だったと自覚しているでしょう。

  3. キャッチャーJosh Paul
    安全を期してタッチしておけば何のことはなかった。

WorldCup欧州予選通過の「2位のうち成績のよい2チーム」とは
FIFA World Cup 2006のヨーロッバ予選のグループ内のリーグ戦が終了し、まずは各グループ1位の8チームと2位チームのうち上位の2チーム、計10チームの本戦進出が決まりました。ここで「2位チーム中上位の2チーム」とはどうやって決まるのかがわかりませんでした。グループ構成が6チームのものと7チームのものが混在していますので、当然7チームのグループのほうが試合数の多い分勝ち点が増える可能性が大なのです。 そこでネットで調べてみると、「1位との直接対決の結果で決まる」というのがありました。しかし下のケースに当てはまりません。

グループ順位チーム勝点対1位チーム
22トルコ23ウクライナに1勝1敗
62ポーランド24イングランドに2敗
結果はポーランドが「2位チーム中上位の2チーム」に入った

さらに調べていってとうとうわかりました。やはり本家本元のFIFAの情報がいちばんです。"An armchair guide to who goes tdrough"に書かれている内容を要約します。
  1. 7チームのグループは最下位をカットし、6チームでの対戦で再集計します。その上で各組2位チームの勝ち点を比較し、ベスト2チームを選びます。 上のトルコの例をとるとグループ内の7位はカザフスタンで、トルコはそこに2勝してますので6チームでの勝ち点は 23-3x2=17 となります。

  2. それでも決まらない場合は、「フェアプレー」の度合いが参照されます。これは"disciplinary points"―「懲罰ポイント」とでも呼べばよいでしょうか―を算定するもので、内容はイエローカード1ポイント、レッドカード2ポイント、1試合の出場停止ごとに1ポイントととして合計の少ないチームが選ばれます。

  3. それでもまだ決まらない場合は、非情ながら「くじ引き」に委ねられます。
というわけで納得がいきました。(もしかして誤訳による誤解があるかもしれませんが)
「龍サマ」とよばれて得意絶頂のときもあったのですが
本日の毎日新聞朝刊・社会面に載っていた橋本元首相の生気のない写真、護送車で運ばれる容疑者か被告人という面持ちで写っているのが使われていました。そして見出しは"「大物」の面影なく"です。記事には"尋問中は終始かすれ声で、弁護人や裁判長から「もう一度」「声が小さい」と促されるなど、大物政治家の面影はない。"とあります。

あの独特のキザったらしい話し方と気位が高いことで有名な方でしたが、晩年(というのは失礼かもしれなませんが)をむかえようとしていた時期の汚職の発覚。そして政界からもなかば追い出されるようにしての引退。総理大臣という地位にあった人がいま見え透いた嘘の証言をして自分を守ろうとしている浅ましさ。晩節を汚すとはこのことではないでしょうか。墜ちるときはこんなものなのでしょうか。

当時何も政治を知らなかったわたしも、見た目がパッとしなかった村山富市のあとをうけてこの人が総理大臣になったとき、単にルックスがいいという理由だけでなんとなく世界の首脳と伍していけそうな気がして、この人でよかったと思ったものでした。(まさに当時のわたしのように「見た目」の印象だけでいま小泉氏を応援している人がどれほどいることでしょう)

いまこの人のことで印象的な場面がいくつか思いだされます。
ひとつは、米国カンター通商代表(大統領だと思っていましたが今調べてこの人だとわかりました)に竹刀をプレゼントし、自分の喉を突くふりをして悦に入っていた姿。
そしてもうひとつは、首相辞任のきっかけとなった1998年7月の参議院選挙で、敗北が決定的になったときに生放送で映し出された、落ち込む気持ちを糊塗することもできず憔悴しきった表情。いわゆる「顔に出る」タイプで、見ていて気の毒なくらいでした。ほんとうは首相の器ではなかったのではと思われます。
最後が、よくボタンダウンのワイシャツを着ていましたが、そのときのネクタイのノット(結び目)がつねに「大玉」でバランスが悪いのがいつも気になっていたことです。

先日亡くなった後藤田元副総理は、引退後でもその発言が「重く」受け止められ、存在感がありましたが、橋本氏の場合はマスコミはもはや彼をそのような重鎮・御意見番としては見ず、積極的にコメントをもとめることはないような気がするのですが(そもそも「旧小渕派」を継いだ「橋本派」会長といいながら自身はほとんど―小泉氏に敗れた総裁選以外―目立っていなかった印象があります)。
今後、注目を浴びるのは今回のような悪いイメージの報道のときだけにならなければよいのですが。
サンマ漁船転覆事故で「イスラエル」をかんがえた
先月末に報じられた北海道根室沖でのサンマ漁船転覆事故ですが、その後わたし自身がいままでいだいていた認識を変えるような展開をみせました。
というのは「イスラエル」という国についてです。
この国でまず連想されるのはパレスチナとの長年の紛争です。なんどとなく国際世論が和平を唱え仲裁にたっても、「目には目を」をくりかえし憎悪の連鎖を断ち切ろうとしない軍事強国というイメージが漠然とありました。(しかし北朝鮮のような独裁国家ではなく、人々の生活水準は高い、という認識もありました)

当初、イスラエル船ではないかと報じられた時点で、SankeiWebには次のように書かれていました。

≪特定できても捜査権なし 公海上の外国船≫

 北海道根室市沖でサンマ漁船が転覆し7人が死亡した事故で、韓国の釜山港に入港していたイスラエル船籍の大型船に当て逃げの疑いが1日、浮上した。しかし、現場海域は公海上のため、外国船には日本に捜査権がなく、特定したとしても刑事責任は問えない。

 1997年に釧路沖の公海で、サンマ漁船が当て逃げされ3人が死亡した事故では、釧路海上保安部が衝突したリベリア船籍の大型貨物船を特定した。「公海上」と「外国船」が壁になり、任意で関係者から事情聴取したものの、船長らは衝突を否定。結局、刑事責任は問えなかった。

ですから先にあげたイメージから、イスラエルなら「逃げを決め込む」可能性が大のように思われたのです。
ところがイスラエル船と確定されるや捜査に協力的であるばかりでなく、船会社の社長が謝罪のため来日し、一週間近く「行脚」をしているのです。昨日は亡くなった犠牲者の元を訪れ仏壇の前で数珠まではめて拝んでいる様子が報じられていました。また遺族一同と会した場面も映されていましたが、遺族側は(中国・韓国などでよくみられるような)泣き叫んで詰め寄るようなことはありませんでした。これも船会社の迅速な対応と真摯な態度が感じられたからではないでしょうか。

以上が、イスラエルのいち船会社社長の行動とはいえ、かの国を好意的に見るようになった経過です。(北朝鮮のように国家ぐるみで「しらばくれ」ようとはしなかったのです)
と、おもっていたら今日の産経新聞の社説でわたしと同様の感想を述べています。
一部を抜粋して掲載します。

【主張】イスラエル船 補償交渉にも誠実さ示せ
(略)
 事故はきわめて遺憾であり、原因究明を急がねばならない。ただ、北側一雄国交相が「その後の行動は誠実」と語ったようにイスラエルの船会社の対応は迅速に映った。コンテナ船の捜査に関しても、海保の調査を認めた。こうした事例は国際的なルールがないだけに、イスラエル側の法順守の姿勢が読み取れる。
(略)
 ただ、公海上の事故だったことから捜査権はイスラエルにあり、海保による捜査は難航も予想された。なぜなら、近年、日本の海域では海運事故でシーマンシップにもとる無責任なケースが横行しているからだ。

 その典型的な例が平成十四年十二月に発生した北朝鮮の貨物船「チルソン号」が、茨城県日立港の防波堤に座礁した事故である。

 船体を放棄したまま、船長ら乗組員はさっさと帰国したほか、北朝鮮の船主は撤去費用などをいっさい負担せずに、ほおかぶりする無責任ぶりだった。しかも、この船は保険に未加入のため、結局は六億五千万円もの税金を投入して撤去せざるを得なかった。

 現在に至るまで北朝鮮側から補償の意思は示されていない。

 日本周辺ではこうしたケースが少なくないだけにイスラエルの当たり前の対応が印象深いものになるわけだ。
(略)

お上から「もらう」のは好きだがその逆は嫌いな日本人

  1. 税金・保険料

  2. 年金支給額

  3. 祝祭日


上に上げたのは国で決められる事柄でお金と余暇に直結するものです。
1が減り2,3が増えることに大衆は手放しで喜び、「よい国」と感じます。当然それに関連する法律の変更もあまり支障なく粛々とすすんでいきます。
対して1,2に逆のことが行われようとするとマスコミ・野党をはじめとして世論は「絶対反対」のあらしです。

祝祭日は減らされたことがないのであくまで予想ですが、ここ数年をみると、「谷間」にあった5月4日を無理矢理「みどりの日」と命名して休みにしたり、既存日の月曜日への移動(成人の日・体育の日など)によって実質的に増やすということが行われています。たとえば、今後の天皇誕生日が前例踏襲によってすべて祝日に制定されると仮定して、増える一方ではいけないので、そのかわりに「祝祭日が増えすぎたので一部廃止します。今回は成人の日にします。毎年各地で記念行事が荒らされて収拾がつかなくなってきたからです」などといったことが将来おこらならないでしょうか。そのとき増税反対とおなじような世論がおこるような気がするのですが。

日本が高度成長時代だった1973年、田中角栄内閣は国民年金の支給額を大幅に引き上げたそうです。当時おおいに人気を博した政策だったでしょう。この制度の将来的な弊害が20年以上も前から認識されていながら、今にいたるまで小手先の改革で先送りしてきました。「善政」と受け入れられたものが時代の流れによって「悪政」と化している一例です。
年金制度に限らずこのような失敗の責任は誰が負うものなのでしょうか。(ほんの一瞬時を除いて)その間自民党が政権を担ってきたのですから、本来は大衆がそのことを見極めて別の政党に任せるという行動をとってもよかったはずですが、実際はそうなっていません。それどころか、この前の選挙で「大まかせに、まかせる」ことにしたばかりです。

日本は、冒頭であげた例のように「もらう」とか「とられる」という損得感情が先に立つ未成熟な社会なのでしょう。それはやはりヨーロッパのように市民自身が勝ち取った「市民社会」ではないからだと思います。
税金は法律で決められている「義務」だからいやいや納めるが少ないに越したことはない、できればチョロまかしたい、というのが日本。自分が市民社会の一員であれば収入に応じた納税はあたりまえであり、その分政府のやりかたは監視していく、という欧米。
日本をはじめアジアの国々にはそういう意識がそもそも根付きにくいのだ、という説もあります。経済の発展規模で国力を判断すれば上位に位置する日本ですが、数値化がむずかしい国民の成熟度からみるとかなり低いところにいるのではないのでしょうか。逆に言うとGDPはそれを糊塗する一種のおまじないなのですね(時事ネタに絡めて、粉飾決算に加担している会計士の役割、というと言い過ぎでしょうか)。
「8 teams,1 champion」: MLB playoffs ready to start
MLBプレーオフのワイルドカードが今日(現地10/2)、レギュラーシーズンの最終日で決まりました。アメリカンリーグはBoston Redsox、ナショナルリーグはHuston Astrosです。
金満チームYankees嫌いのわたしとしては、この最終盤までもつれたプレーオフ進出争いの中で、次のような展開を希望(夢想)していました。
まずAL-EastはBostonが優勝。そしてYankeesは猛追したClevelandにも抜かれてワイルドカードも逃す。
しかし現実には、NYがラスト一月で同じAL-Eastの下位チームにほとんど取りこぼすことがなかったのに対して、BostonはTampa BayやTorontoに痛い星を落とすことがあって失速してしまいました。まあ最後のNYとの直接対決でもう一度モチベーションを高めた状態でワイルドカードの切符を決めましたからよしとしましょう。

結果的にNYはホームフィールドアドバンテージをとれずに西海岸まで遠征してLA AngelsとALDSを迎えます。NYにしてもBostonにしてもAngelsとのディビジョンシリーズは避けたかったはずで、Bostonの緒戦としては後半大失速のChicagoとのほうが「組みやすい」のではないかと想像しています。
Angelsには大いに期待します。とくに投手陣には。2002年のALDSの両者の対戦ではF-Rodの印象的な大活躍もありNYを撃破しました。そのF-RodもいまではRiveraに匹敵するクローザーに成長しましたし、もう一度あのときの再現(=Yankees敗退)を見たいものです。

一方NLDSではまずHustonを応援することにします。Yankees以外でのClemensとPettitteの快投をもう一度見てみたいのです(Hustonは昨年もプレーオフにでましたがPettitteはけがで投げませんでした)。

このように最終盤までプレーオフ出場争いが熾烈なMLBに比べて、わがパリーグのプレーオフは同じ「プレーオフ」の看板を掲げていても質においてまったく違うというべきものでしょう。なんせリーグ6チーム中3チームが進出できるのですから。そしてプレーオフの導入をセリーグも検討しているというのですから笑ってしまいます。(NL-Eastの優勝を5割+2勝で決めたSan Diegoも同様の文脈で笑えると思いますが)

まあディビジョンシリーズはYankeesの敗退、あとはいい試合を見せてくれることを期待します。(現時点のWS第一希望はBoston-Hustonにしておきます)
「東京大学のアルバート・アイラー」を読みました
メディア総合研究所発刊の「東京大学のアルバート・アイラー」(菊地成孔・大谷能生共著)を一気に読みました。この本を知ったのは毎日新聞の日曜日の書評欄(今調べたら2005/7/17の紙面らしいです)で、確かその評者も「このようなミュージシャン自身による解説本を待っていた」的なことを書いていたと記憶していますが、そのとき自分の頭の中のウィッシュリストにいれていました。先週べつの書籍をネット購入するとき、この本のことを思い出しいっしょに購入したというわけです。読了するのに4時間くらいしかかからなかったのではないでしょうか。

さいわい、ギターを少々触ることからコード(本書で謂うところのバークリーメソッド)の存在自体は既知であったこと、またこの講義でかけた音源のおよそ7割がたをわたしも所有しており(残念ながらフリージャズは一枚もなし)、CDを差し替えながら読むことができました。

もっとも印象的だったのはColtraineの"Giant Steps"での記述で、難しすぎてTommy Flanaganがついていけなかったという逸話です(実際にCDを聴いてよくわかりました)。すさまじいコードチェンジが施されているという知識だけは以前からありましたが、具体的にどうすごいのかがよく理解できました。またメロディー先行ではなく、いままでにないコード進行を目的の第一においてつくった曲だという解説は納得がいきました。(たしか毎日新聞での評者もこの"Giant Steps"の部分をとりあげていたはずです)
一方、Milesの"Kind of Blue"をメインにしたモードはよく理解できませんでした。過去にもモードについての解説には幾度か触れてきて、その度に挑戦してきましたが、いまいち腑に落ちていません。このあたりはやはり楽理の知識がないといけないのでしょう。

JazzだけでなくRock、R&Bまでも言及されており十分楽しめるものでした。従来ライナーノーツなどで使われる「アーシーな」とか「ビビットな」などの形容詞で語られるのとは一線を画す「テクニカル的にどこがすごいのか」という素人がいだく疑問に十分にこたえてくれる書であると思います(本書全体の理解度はわずかだったとしてもです)。今後音楽鑑賞する際の、いままでと異なる新たな視点ができたように思います。
下巻も発刊されるようなので期待しています。
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