I have something to say
わたしが近ごろかんがえていることを徒然なるままに...
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京都学習塾女児刺殺:オトナの分別がなかっただけだろうか
京都府宇治市で起きたアルバイト講師の大学生による小学六年女児の刺殺事件。本当に痛ましいことです。同世代の恋人とのいさかいなどであればまだ動機としては納得できるのですが―あくまでもたとえであり、暴力での解決を肯定するものでないことは言わずもがなです―、なぜ12才そこそこの「子ども」に対してそこまで「本気」に思い詰めてしまったのでしょうか。

東京新聞web『殺せば苦しみから解放』には次のような記述があります。

萩野容疑者は逮捕直後の調べに「紗也乃さんとのトラブルで悩んでいた。紗也乃さんが消えてしまえば苦しみから解放される」と供述していたことも分かった。
(中略)
女児の母親は夏以降、京進宇治神明校の中塚忠賢校長に「先生と関係がうまくいっていない」などと三、四回にわたって相談。十一月末に萩野容疑者は女児と担任の女性社員との三人で面談した際、女児を厳しくしかった上、多くの宿題を課し、女児は泣いて帰宅したという。

トラブルを殺人で解決する短絡さは到底理解できるものではありませんが、ある一面で共感できる部分がわたしにはあるのです。

わたしの身内の子どもがまだ1~2才の頃だったでしょうか。いままでそうでなかったのが、急にわたしになつかなくなったのです。何度も嫌がられると、「憎しみ」がわくということはなかったのですが、相手が幼児であるとわかっているのに「自分の人間の小ささを見透かされたのではないか。邪心がないからこそ本能的に人間性がみえるのかもしれない。」と、本気で落ち込んだものです。幸いあまり時をおかずに関係は「改善」されましたが、たしかに大の大人が幼児に翻弄されていた(とこちらが感じていた)のです。あのときわたしの心に「トラブル」がたしかに存在していました。

最初、「先生と関係がうまくいっていない」という表現に、具体的にはどういうことを指すのかわかりませんでしたが、自分が経験したことを思いだし少し納得した次第です。今回思い至ったのは、大人が主導権を握って当然であるはずなのに、無意識のうちに心理的には子どもと対等な立場で対峙していることがあると言うことです。この学生の場合は最終的な解決策が根本的にまちがっていたのです。
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