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わたしが近ごろかんがえていることを徒然なるままに...
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セルビア:スレブレニッツァ虐殺の「首領」逮捕へ本腰
BBC Newsの"EU threatens Serbia over Mladic"によれば、以前のエントリ「ボスニア内戦:スレブレニッツァ「虐殺」ビデオの衝撃」で触れた、逃亡中のムラジッチ将軍(Ratko Mladic)の"捕獲作戦"が間もなく実行されそうです。

タイトルを直訳すれば「EU、ムラジッチのことでセルビアを脅す」となるでしょうか。ムラジッチのこととはもちろん「匿(かくま)っていること」を指すでしょう。

記事の概要を記しておきます。

EU委員オッリ・レーン(Ollie Rehn、フィンランド出身、拡大担当委員)
「セルビアの全面的協力があるまで4月初旬に向けた計画は取りやめる」
セルビア国防大臣ミロリュブ・ラブス(Miroljub Labus)
「軍隊の出動で3月中に逮捕したい。もしムラジッチを差し出せなければ辞任する」
Zoran Stankovic(何者かは不明)
「ここ数ヶ月のムラジッチへの支援組織は特定できている。間もなく捜し出して逮捕できるだろう」
イギリス外務大臣ジャック・ストロー(Jack Straw)
「セルビアの協力が失敗すれば、悪くすると、昨年10月に始まったEUとの対話を終らせることになる」

レーン氏は、さらに、首相の命令に"文字通り"従うべきであり(引用者註:裏を返せばいままで軍は命令に従うように見せて逆らっていた―実際セルビア国内でムラジッチは英雄視されているはず―ということ)、セルビアがEUに加わりたいならば軍隊がシビリアンコントロール下にあることを証明すべきだ、と述べている(引用者註:これは"拡大担当"委員の発言であり、ここに至って「脅迫」を使ったタイトルに合点がいった。「4月初旬に向けた計画」とは昨年10月に続く、EU加盟に向けたステップである"何か"か)。

だいたい以上のような内容です。
EUの気合いの入り方がうかがえます。もしムラジッチ拘束となれば大ニュースとなります。行方を注目したいと思います。
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朝日新聞:五輪「強い者が勝つとは限らない。勝った者が強い」はぁ?
今日掲載された朝日新聞のトリノオリンピックに関する社説は論理的におかしくはないでしょうか。

朝日はこう言っています。

 (優勝候補が勝てなかった)原因は様々だろう。体調のピークを合わせる難しさ。注目の大きさとその重圧。それが4年に一度しかない五輪の面白さでもある。しかし、この波乱の連続を番狂わせとは呼びたくない。

 スキーのジャンプで、2季続けて君臨してきた年間王者をラージヒルで破ったのは19歳の新鋭だった。バイアスロンの男子では、前回4種目の優勝をさらった強豪を抑え、3冠を手にした新しい王者が生まれた。

 スポーツは、強い者が勝つとは限らない。勝った者が強いのだ。

「強い者が勝つとは限らない。勝った者が強いのだ」という文章中の「強いもの=優勝候補」であり、ジャンプの例でいえば「勝った者=19歳の新鋭」ですね。
これを朝日は「番狂わせとは呼びたくない」そうですが、一般に世間では「番狂わせ」、英語では「upset」などと呼ぶです。重圧などで優勝候補が前評判どおり勝てないこと(=番狂わせ)が稀にあるので、自分でもそれが「五輪の面白さでもある」と言っているではないですか。

そもそも「強い者が勝つとは限らない。勝った者が強いのだ」とは社説子の自作でしょうか。それともなにかの引用でしょうか。いずれにしても、たとえば(広く認知されている)「試合に負けて勝負に勝つ」程度のわかりやすさがほしかったところです。これでは似非哲学者が吐きそうな文句ではありませんか。

それでは「番狂わせとは呼びたくない」理由は何なんでしょうか。「やはり人一倍の練習量で決まるのだ」とか「根性があるかないかなのだ」と続くのであれば、その是非は別にしても"文章としては"成立します。しかし、それに相当する一文が全く見当たりません。

不思議なことに自国である日本に関しては、フィギュアの荒川についても、日本の惨敗ぶりについても全く述べていません。そのかわり、これから五輪招致するならドーピング対策をしっかりしろ、とこれだけです。当初掲げられたメダル目標5個など、朝日にすれば十分に突っ込み甲斐がある総括ができるはずなのですが、どうしたのでしょう。

オリンピック閉幕にあわせた社説としてはなんとも論点のはっきりしないものです。スポーツやオリンピックにあまり興味をもってないひとが、ほとんど観戦することなく書いたのものではないでしょうか。
トリノ五輪:フィギュアスケート会場の「黒」で統一のカメラマンたち
トリノオリンピックも日本時間で明朝閉幕を迎えます。「またもメダルに届かず」の連呼から最終盤での「荒川静香、金メダル」の喧噪...と、やっとそれにも終わりを告げ日常が戻ってきます。もっとも選手たちの帰国でもうひと騒ぎあるでしょうが。惨敗、悲惨のうちに演技を終えた安藤美姫を、それでもニュースバリューありとして追いかけるマスコミがいまからみえるようです。

フィギュアスケートに関していえばほとんど関心はありません。しかし、普段興味がなくとも、また馴染みがなくとも、(夏冬ともに)オリンピックでは見てしまうものです。オリンピックでの競技の大半はそんなふうに四年に一度注目するだけ、と言ってしまっていいかもしれません。

わたしにとってはフィギュアスケートもそのひとつであり、オリンピックでは"一応"毎回見てきました。しかし、今回は全く見る気が失せていました。多分に安藤が代表に選出されたことへの疑問と、彼女のキャラクターへの嫌悪感からです。その後も「4回転」という実現性の低いネタをひっぱり、「飛ぶ」「飛びたい」と言い続けていたのも不快でした。

いじわるな希望をいえば、安藤はこれで第一線に残ることなく競技生活を終えてほしい。それから、過去の実績に遡ってポイント化し、それを選考の基準にした結果、あきらかに上り調子の選手を差し置いて下降線を描いている選手をあえて選んだ協会もしっかり総括すべきだと思います。

閑話休題。
上のような状況で、金メダル獲得を知ったにもかかわらず、荒川のフリーの演技を見たのはその日夜のニュースでした。その日以降何度も繰り返される映像を見ているうちにあることに気づいたのです。

スケートリンクのまわりは「TORINO 2006」と書かれたカラフルなフェンスで囲まれています。その最前列には多くのカメラマンがいて望遠レンズの放列を敷いています。彼らは世界中のプレスの、それも選りすぐりのカメラマンたちでしょう。テレビが演技を余さず中継しているとはいえ、スチールカメラしかとらえられない瞬間のすばらしさは別物です。荒川の動きを追ってレンズが一斉に向きを変えるのをみていて心に迫るものを感じました。同国民として――単にテレビで見ている一庶民なのですが――何とも名状しがたい誇らしい気持ちになりました。

次の瞬間、ひょんなことに気づいたのです。カメラマンたちがみんな黒いウエアを着ているのです。そのわけは(自分なりに)すぐに合点がいきました。カメラマンたちの背景がまた黒だったのです。つまりなるべく目立たないように、なるべく演技者の邪魔にならないようにとの配慮なのだろう、と思い至ったのです。

と同時に、対照的なリンクのことを思いだしました。
記憶違いでなければ、伊藤みどりが出場したアルベールビル大会だったと思います。そのときのリンクはフェンスの一部がテレビカメラ用に間口があいていたのです(例えれば、フェンスに2カ所縦に切れ目を入れてそこだけ撤去したかたち)。その前で伊藤が転倒しなかったでしょうか。もしかすると他の選手だったかもしれませんが、そのぽっかりあいたテレビカメラの付近でのジャンプで何人かが転んだように記憶しているのです。当時それを見ながら、選手は視覚的にやりにくそうだと思ったことを確かに覚えています。

そんなことを思いだしたので、今回の黒衣風の"配慮"が選手のことを第一に考えた、オーバーにいうと人間工学に則ったすばらしいものに感じられたのです。
これはオリンピック主催者独自の考えによるものなのか、スケート連盟の規格なのか、テレビ局の意向なのかはわかりません。たとえばNHK杯でのカメラ席はどうなのか、普段フィギュアスケートをみないわたしはわかりません。
もし、規格ではなく独自の"配慮"だとすればその当事者を絶賛したくなる、そんな「小さな引っ掛かり」でした。
伊藤公介:やはり「政倫審」は今回も幕引き用の通過点?
民主党にとっては「3点セットだ、4点セットだ」という予想以上の順風が吹きすぎてしまったため、逆にそれが「掘江メール」での失敗につながったのではないでしょうか。端的に言うと「気の緩み」でしょうか。そこへ粗忽者の永田寿康衆が登場して完全に勢いを削ぐことになったわけです。追及すべき問題ががありすぎたため力を集中できず、その結果攻めの質が低下したとも考えられます。
せいぜい2点セットくらいが民主党にとってはちょうどよかったのかもしれません。

さて、きょうの伊藤公介に対する政治倫理審査会です。与党の質問ははなから論外でしたが、民主党・長妻議員の「質の高い」攻めによって伊藤は「典型的な癒着タイプ」のセンセイであることが改めて浮き彫りになりました。が、マズいことには「知らない」「覚えていない」と答えていればいいのですから、結果は最初からわかっていたことですが、伊藤の逃げ勝ちということでしょう。

きょう出てきた灰色部分をあげておきます。

  • 小嶋(と別のもうひとり)に同行して国交省へ行った際、国交省は「一両日中に発表します」と応じたが、その後マスコミ発表に先んじてヒューザー(ともう一社)へのみファックスで知らせた。
  • 質問主意書に対する住宅(?)局長の「(伊藤は)『建築確認した国にも責任がある』といった」という答弁があるのに「言ってない」と強弁。最後には「言ったかどうか覚えていない」と逃げた。
  • その局長たちと"意見交換"と称して酒を酌み交わしている。役人らは公務ととらえていた。
  • 息子のマンション管理会社がヒューザーと契約していることは自分が取材を受けるまで知らなかった、とのたまう。
  • 献金を受けた企業へ息子と同行し、4千万円の契約にこぎ着けている。
  • さらに息子の会社の入居先はその契約先所有のビル内(←といっていたはず)
  • 出所は明らかだが収支報告書に載っていない、何に使われたかわからない1,600万円余りのカネ。
  • (新聞等で既報だが)産業再生機構の物件に入札したヒューザーへの過度のサービス(機構への問い合わせなど)。

政治倫理審査会は疑惑に対する幕引きの場といわれているようです。かつての事例が如実にそれを物語っています。

冒頭で示したように「3点、4点セット」であまりにも論点が分散されてしまい、耐震偽装そのものへの興味が薄れてしまったのも正直な気持ちです。できれば世間的に盛り上がったあの時期に一気に畳みかけられればよかったのですが(そうはさせじとの自民党の作戦が功を奏したのかもしれません)。本当は伊藤のような輩は徹底的に糾弾すべきなのですが、民主党は一転して逆風のまっただ中ですし、残念ながら今回も「幕引きの場」であることを証明して終わりかもしれません。
党首討論:「堀江メール」で双方決定打なしも自民やや有利か
さきほどいわゆる「堀江メール」に端を発した不透明なカネについての党首討論をきいていましたが、民主党の「銀行名を明らかにするから国政調査権の行使の確約を。そうすればさらに具体的な口座名を出す」という"取引"はどうにも弱く一蹴されてしまいました。

この「堀江メール」を巡る自民・民主のやり取りは双方とも身動きがとれなくなっているような感じがします。
もし以下のような想像があたっていれば、両者の今の態度に合点がいくのですが。

自民党
武部の次男はカネを受け取っている。そのことはこちらでも調べがついている。幸い「堀江メール」の真贋は決定できずにいる。世間の印象は"ニセ"寄りに傾いているので、「確たる証拠を出せ」、その一点で国政調査権の行使は断固拒否する。なにを言われようが同権行使の決定権限はこちらにあるのだ。これを認めるということはすなわち政権が吹っ飛ぶことを意味するのだから、なんとしても闇に葬らねばならない。

民主党
攻めの手順を誤ったなあ。ガセの「堀江メール」を使ったのは完全に失敗だった。武部次男にカネを振り込んだとの内部告発は信頼できる筋から得ているのだが物証はない。口座の元帳さえ調べることができれば一発なのだ。そのためには国政調査権の行使しかないのだが、ガセメールのことをいわれるとこちらには分がない。大ネタで国民の期待をおおいに高めたのに、如何せん尻すぼみで逆に大きな不信感を与えてしまい世間の後押しもなくなりそうだ。さてこれからどうしようか。

現在、分は自民党にあり、という印象です。民主党が国政調査権行使に持ち込むためには、自民党がぐうの音もでないほどの証拠提示しかないでしょう。それさえあれば行使しますとの言質はとったのですから。
カーリングを極論する:ラクしてたくさんテレビに映って人気者
トリノオリンピックでのカーリング競技で日本は準決勝進出がかなわなかったようです。「箒のようなもので氷を掃くよくわからない競技だったが見ているうちにハマった」などのコメントをよく耳にしていますが、前回のソルトシティーでもまったく同じように言われていたことを思いだします。

どんな競技でも奥は深いのですが、他の競技に比べて"格段に"ハードルが低いことは確かです。スキーをやったことのない人がダウンヒルコースに連れ出されたらどうしようもありませんが、カーリングのストーンは――方向や距離の正確性はともかくとして――だれでも抛ることはできます。
オリンピック競技としての向き/不向きの議論は様々あるでしょうが、性質としてボーリングとは同類項で括ることができるのではないかとみています。

このカーリング競技は結果的にわが国では露出の点でかなり優遇されていたと思います。NHK-BSを中心にかなり時間が割かれたはずです。予選といっても2~3試合で敗退の可能性があるのではなく、総当たりの9試合が確約されています。加えて、一試合自体が時間を要します(さらに"延長戦"といったドラマチックな要素もある)。対して、たとえばジャンプなどは試技そのものは数秒で終わりますし、上位何十名かに食い込めないと二本目は飛べません。他の多くの競技も自分のパフォーマンスは長くて数分で終了します。時間がかかるクロスカントリーなどの距離競技では日本人が上位争いにはまず加われませんから露出度は"なし"にちかいといっていいでしょう。

いちばん大きいちがいは、(フィギュアを除く)他の競技が帽子・ヘルメット・ゴーグル・サングラスのいずれかを身につけるのに、カーリングは一切頭部を覆う必要がない、すまわち完全に日常通りの(化粧をし、髪を整えた)顔で競技ができるということです。
ですから人々は選手のことを(よほど醜くなければ)「かわいい」などと認識して見ていたのではないでしょうか。指示を出す発声もいかにもがんばっていると思わせる要素だったと思います。それらが相まってマスコミは成績以上にかれらに飛びついたのではないでしょうか。

とはいってもこれでブームになるようなスポーツではないでしょう。それは「ソルトシティー後」が如実に示しています。また4年後に会いましょう。そのときまた聞かれるはずです。「箒のようなもので氷を掃くよくわからない競技だったが見ているうちにハマった」という声が。
ドキュメンタリー映画「ブラック・セプテンバー 五輪テロの真実」をみて
先日WOWOWで放送された「ブラック・セプテンバー 五輪テロの真実」(原題:One Day in September)を見ました。そのときは、スピルバーグ作「ミュンヘン」のことは全く頭になく、2000年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門の受賞作ということに引かれて見てみたのです。

1972年当時のこの事件はリアルタイムでおぼえています。しかし如何せん幼少時のことであり、当然ながらパレスチナ(アラブ)とイスラエルの関係やそれを取り巻く国際情勢など知る由もありません(現在でさえもおぼつかないが)。ですからせいぜい「1972年ミュンヘンオリンピック開催中、パレスチナゲリラによるイスラエル選手団の虐殺事件発生」といった一行の年表風記述の知識のまま、その後興味を抱くこともなく、したがってその実体を知らずに過ごしてきました。
見終わって非常な衝撃を受けました。

その後Wikipediaで知ったことも加えてここに覚えとして残しておきます。
[ドキュメンタリー映画「ブラック・セプテンバー 五輪テロの真実」をみて]の続きを読む
神戸空港開港:関西に3つ目、得をするのは誰なのか
今度新たに開港する神戸空港について各紙が相次いで社説を載せています。

日経新聞16日付「神戸開港機に政策転換を」では他の関西既存空港(関西、伊丹)との関連について当初の予定に触れ、われわれが知らなかった(わすれてしまった)「釈然としない思い」を伝えています。
以下に箇条書きにします。

  • 関空の最初の建設候補地は神戸空港の場所だった
  • しかし、神戸市は環境破壊などの理由で拒否
  • 関空は不便な立地に難工事で完成
  • その関空は1兆超円の債務返済めどがつかない、世界一高い着陸料、という悪条件のなか2本目の滑走路建設を強行した
  • 関空不振のなか新空港は地元神戸の需要を吸収することになる
  • 関空は伊丹空港の閉鎖が前提だった
  • 騒音問題で閉鎖を要求していた伊丹住民は関空開港と前後して一転閉鎖反対へ
  • その結果膨大な騒音対策費が投入され続けている

次から次へと前提がないがしろになっていったようです。計画段階から非難が寄せられたことは何となくおぼえていますが、自分たちが当事者でないとそのとき限りで忘れてしまいます。そしていよいよ供用開始の報道によって結果的に造られていたことを知るのです。

他紙は新空港誕生の経緯や国の空港政策はさておき"できたものはしょうがないが、さて今後はどうする"というポジションから論じはじめているようです。

産経新聞16日付「神戸空港 相互補完し共存の道探れ」はやや楽観的で、「肝要なのは国際的な空の需要の動向にあわせ役割を柔軟に変更することである。そのためにも三空港を総合的・一元的に運営する新しい方式が必要だろう。海外では複数の空港を民間企業一社で経営するビジネスモデルがすでに一般化している。参考にしたい」といっています。

産経新聞15日付「神戸空港 地元の期待は大きいが」は「空港維持が困難になった場合に備えて、閉鎖などの合理化策を想定しておく必要がある」と万一の場合の提言をしています。

いま地元は様々の過去のしがらみをいっとき忘れ、お祝いムード、ハレの気分が充溢していることでしょう。しかしどうみても杜撰な計画だったといわざるを得ません。次の日経の一節に集約されます。
「地元エゴに振り回されて既成事実を重ねたあげく、開港直前になって『役割分担』を言うのは一般国民の目にはいかにもむなしく映る。政府のすべきことは、過去の過ちをくりかえさぬための抜本的な空港政策の転換である。それこそが神戸空港を生かす唯一の道のはずだ」
トリノ五輪:なぜ毎日あんなに天気がいいのだろう
トリノオリンピックの屋外競技を見ていると毎日晴天の下で行われています。1998年の長野大会を思い起こすと、雪が降りしきるなかのジャンプを筆頭に少なくとも連日の晴天ではなかったはずです。

だいたい日本国内の、スキー競技ができるほどの降雪地帯では半日でも晴天が続く日は数えるほどではないでしょうか。当然の結果として、長野でも降雪の中かそうでなければ曇天での競技をおおく目にしたはずです。

前回2002年のアメリカ・ソルトレークシティー大会はよくおぼえていないのですが、1994年のノルウェー・リレハンメル大会でも晴れが多かったような気がします(たとえばノルディック複合での日本優勝のゴール場面を思い出すと晴れだったはずです)。ヨーロッパのスキー場は総じてああなのでしょうか。

少なくともトリノの場合は偶然好天続きなのでなくあれが通常であるようです。先日見たダウンヒルでは鋭い岩山の連なり(それもすべて冠雪しているわけではなく)が屏風のように回りを囲むすばらしいロケーションでした。

トリノ絡みで辛口批評をひとつ。
大会が近づくにつれマスコミは話題の競技・選手を取り上げるようになりましたが、その中で成田夢露・今井メロ兄妹のガッツポーズや言動にわたしは不快なものを感じていました。そして本番での両人ともに演じた醜態です(予選落ちという結果ではなく)。苦々しさ倍増と同時に溜飲が下がりました。
このことを書きたかったのですが、どう表現したらよいかわからず手をつかねていました。そこへ勝谷誠彦氏が自身の日記でこのことを代弁してくれました。まさにいいたかったことです。一部を引用します。

偏見を承知で言うのだが私は兄の成田童夢と今井メロの「負けっぷり」を見て不快になった。どちらも大言壮語した割には門前払い的な大敗だったのだが転倒したあとの態度がよくない。童夢は雪を叩いて悔しがりメロは腰の怪我を庇ってまで滑るというパスォーマンスをした。大した怪我ではなかったようなんだけど。美しくないね。スノボ野郎というのはそもそも汚いものだが日本人としての潔さの片鱗もない。技術の前に育ちの問題じゃねえか。藤原正彦さんの言われる「品格」だな。いや日本人云々ではなく欧州貴族の遊びである冬季五輪ではああいう態度が一番嫌われると昨日ご一緒した二宮清純さんも言っておられた。

ついでにこれで前段の疑問も合点がいきました。降雪や曇天ではなく晴天の空のもと爽やかに楽しめたからこそスキーは「欧州貴族の遊び」になったのではないか。すなわち、やはりヨーロッパのリゾート地(含スキー場)の冬は好天が当たり前なのだ、という結論に達しました。
ライブドア:チャート図発見(安晋会のチャート図はまだか)
本日の毎日新聞が「ライブドア:“自殺”副社長宅からチャート図押収」で他大手紙をおおきくリードする記事を載せています。特ダネといってよいでしょう。野口英昭氏がキーマンであろうという従来の単なる推測ではなく、自宅から見つかったチャート図(相関図)に基づいたものです。

行間からは自殺を疑う論調がうかがえますし、ライブドアとは関係ないが、ある投資組合に出資した人の言として「(投資組合に)後になって暴力団のカネが入っていたと知ることもある」とし、「ホニャララ団」ではなくはっきりと"その"単語を明記するに至っています。一歩踏み込んだといえるのではないでしょうか。

野口氏と堀江はそりがあわなかったことも書かれていますし、ライブドア事件に関する新聞業界のスタンスとしてはいままでになかったものになりつつあるように感じられます。これで他紙、しいてはメディア全体の奮起を促し、外野からの圧力(があるとすればそれ)で書けずにいることに恐れることなくタッチしてほしいものです。

そしてできうるなら、もう一歩歩をすすめて「野口―安晋会」ラインを書いてもらいたい。今はその時期ではなくとも、近々に必ずやそこへ到達することを期待しています。YOMIURI ONLINEによれば、「後継首相ふさわしい人、安倍氏がトップ」にみられるような、いまだに目の覚めていない人がたくさんいるようですから。
1972年 札幌大会のおもいで:オランダ、アルト・シェンク
トリノオリンピックが始まっていますがどうもいまいち身が入りません。その理由のひとつが、客観的にみるとそれほどメダルの可能性は高くもないのに(かつスター性もないのに)相変わらず特定の選手をおおきく持ち上げる報道姿勢です。個人的に競技として買っていないせいもありますが、女子モーグルや男子スノーボード・ハーフパイプが終ってまずはせいせいしているところです(本当は選手に罪はないのですが、取材慣れしている場面ばかりみていると、彼ら彼女らも慢心しているようで応援する気持ちも失せてくるのです)。

初めて見た冬期五輪は1972年の札幌大会です。あの大会でもっとも印象深くこころに残っているのは日の丸飛行隊ではなく、オランダのスピードスケーター、アルト・シェンク(Ard Schenk)です。

彼は500m以外のすべての種目について金メダルを獲得しました。500mも最右翼だったのにスタートで転んだのではなかったでしょうか。
不確かな記憶ながら「孤高の」とか「巨人」といった形容をされていた気がします。そしてリンクを滑る姿はその形容どおりでした。

何mの種目だったかわかりません。最も長い距離だったかも知れません。場所は真駒内にある屋外のリンクでした。当然二人でスタートしたのでしょうが、相当に差をつけているのでしょう、画面は彼しか映しません。すごく雪が降っていたのを覚えています。カメラが(アップでなく)引いて捉えると滑っている姿が煙ってみえる、それほどの大降りでした。そのなかをただひとり記録に向って走るすがた・表情が「崇高」というか「神々しい」もの(もちろんその当時はそんな言葉は知りませんが)に感じられたのをおぼえています。
当時は大会が終ると同時に自然に興味を失ったはずですが、しかしわたしにとって、いままでみてきたスポーツの名シーンのなかでも外せない一場面なのです。ずっと彼の名前と雪の場面を忘れることなく今に至っているほどですから。

少しネットで調べてみました。

  • 500m以外の距離は1,500 5,000 10,000mの三種目でした
  • 大雪は記憶どおりでした。"Racing during a snowstorm"とあります。5,000mのときだったようです
  • 札幌大会終了直後、オスロでの世界大会で4種目制覇したそうです
  • 1,500mで最初に2分の壁を破ったのがかれだそうです

[参考]
INTERNATIONAL OLYMPIC COMMITTEE
SkateResults.com
新女流名人・矢内理絵子さん司会の番組を見て
NHK-BS2毎週土曜日の昼の番組に「囲碁・将棋ジャーナル」というのがあります。題名どおりの内容です。NHK総合「バラエティー生活笑百科」を見た後でここにチャンネルをかえることがあります。が、囲碁は知りませんし将棋も一時遊んだことがある程度ですので、基本的には流し見にちかいのです。

この番組の将棋の部の司会者は矢内理絵子さんという方なのですが、2月11日放送の数日前に新聞で何かのタイトル(後日、女流名人位と知る)を取った記事を偶然読み、それほどの実力者だったことを知らずに視聴していたことを知りました。
番組の司会者がタイトル保持者になった、しかも清水市代という第一人者を破ってのことですから、この日の番組ではいわば身内をどう扱うかに興味があり、そういう観点で見ていました。

毎回ある一局を取り上げ解説者を交えて大盤で詳しく見ていくのですが、やはりと言おうか彼女がタイトル奪取を決めた一局が対象となりました。こちらも期待していたのですが、自分自身の対局ですから解説者への問いかけもやりにくく、照れがあるのではと思っていたのですが、まさにそのとおりの光景がみられました。

解説コーナーが終わりこれで内輪ネタは終了とおもったところに、彼女のいままでの足跡(といっても26歳らしいですが)を短くまとめたビデオを流しはじめました。途中で両親の姿が現れた場面で「故・母」とキャプションが付き、少し後でワイプ(テレビ隅の小さい別画面)で彼女の(涙がにじんだ程度ではなく、もっと強くグッときてしまって)目頭をハンカチで押さえている姿が映し出されました。

ビデオが終わりスタジオに切り替わると、囲碁担当の女性司会者ももらい泣きしたらしく目を赤くしており、矢内さんへの問いかけにはまだ涙声が混じっていました。矢内さんもまだ泣き顔でしたが、細切れながらもしゃべっているうちに徐々に平静さを取り戻していったようでした。

しかしこのときへんな間が空いたりして、しらけたというかどう手を付けていいかわからないような異様な雰囲気がこちら側にも伝わってきました。最近のテレビではきわめて珍しいことだったでしょう。ほかに解説者二人も同席していましたが計4人はすべて囲碁・将棋の世界の人であり、全体を仕切るようなプロの司会者は誰ひとりいなかったのです。だからこそ生まれた現象だったのでしょうが。

以上とりとめもないことについて、わたしは批判的ではなくむしろ好意的にとらえています。たとえば、最近はあまりないかもしれませんが、長年番組をつとめた司会者やアシスタントが降りることになり、その最終回で感動につまりながら感謝の辞を述べ、花束をもらって涙ながらにエンディングへ...といったことがあります(ありました)。これもその番組の身内ネタを見せられているのですが、なにかあざといものが感じられました。しかし、矢内さんの場合は至極自然なものだったため、こちらもハラハラしたのです。彼女(をはじめ登場人物全員)がタレントさん(および放送のプロ)ではなかったためでしょうが、ながれにまかせていたら予想外の方向へいってしまった、という感じでした。
それにしても、この番組のスタッフは素人に司会進行を委ねた中で、それも司会者自身が動揺する可能性のあるリスクをおかしてまで、かなり思い切ったことを企てたものです。
朝日新聞:必死さほとばしる「麻生叩き」
きょうの朝日新聞は社説「麻生発言 外交がとても心配だ」でまたも感情のコントロールができないことを露呈しています。

麻生太郎外務大臣が講演で台湾を「国」と表現し、さらにそれを連発したのだそうです。これは「『ひとつの中国』という政府の方針に反して」いるではないか、と朝日はいいます。この政府とは日本政府のことで、その指摘に間違いはないのですが、これは丁寧にいうとこういうことです。

「『ひとつの中国』であると主張する中共の言い分を一応是としている日本政府の方針に反して」

「日本政府の認識に反して」といいながら「中共様の認識に反して」という真意を投影しているのは言わずもがなです。

麻生外相がこのときの「国」発言を、後日、そんなことは言わなかったと反論したことをとらえて、朝日は最後をこのように結んでいます。

 だが、2日後の記者会見では「国」と述べた発言の報道を否定して、こう述べた。「台湾を国と言ったら問題になるということぐらい、25年間朝日新聞にやられてますから。そんなにバカでもない」
 あまりに強く否定するので、こちらも録音を聞き直したら、確かに言っているではないか。口が滑ったというのなら、素直に自らの言葉の不適切さを認めるべきだ。

名指しされたことがよほどカチンときたのでしょう。しっかり録音を確認してウラ取りしたことを"わざわざ"われわれに示し、品格がないことを印象づけるセリフを載せたうえで揚げ足をとるなど、他紙ではしそうもないことをイヤミったらしくするあたり、なんとも格調高い社説ではありませんか。
次期総理:小泉→安倍のながれは断とう、絶対に
今回の日朝間の協議でも拉致問題はなんら進展がみられませんでした。しかも滞ってしまった回数は二回や三回どころのはなしではないのです。北が誠意をみせないからというだけではなく、双方が同意した上で「茶番」を演じているのではという疑惑も「そんなバカな」と一蹴できなくなってきています。対話が不調に終わったあとのお定まりの「経済制裁も視野に入れなければならない」を何回きかされてきたでしょうか。その発言の度に被害者家族をはじめ国民はこんどこそと期待をかけるも実行はされずに落胆...と、同じことを繰り返して何年になりますか。

昨年でしたか、改正船舶油濁損害賠償保障法の適用により、保険に未加入の船舶は入港できなくなりました。加入率の低い北の船は高額な保険料を払えず実質的な経済制裁の役割を果たすであろう、といわれていました。しっかり保険に入った万景峰号の入港をこぞって取材していたのは覚えています。しかし、その後全体として効果があったのかなかったのかの総括はとんと目にしていません。北からもこのことで困窮したり弱音を吐いたりして、その後の協議で日本が有利にたったというはなしも聞きません。

小泉は拉致被害者の救出はあきらめている。日朝国交正常化というノーベル賞級の栄誉のみが欲しいのであり、かたやその本意を知る金正日は日本からカネを引き出したい。そんな両者の思惑に沿ったお芝居が演じられているのだ、という見方もあります。

先日、高速道路のほぼ全線を計画どおりに(しかも40兆円の借金を45年で返済するという"画餅"を掲げて)建設するという発表がなされましたが、予想していたとはいえ、これが「民営化」の成れの果てだと思うと情けない気持ちになります。小泉の本性を知らずに応援していた時期で、かつ着手した最初の改革だった事もありますが、われわれもまんまと騙されてしまいました。同様に、拉致解決も中途半端な状態のままさじを投げているといわれれば残念ながらそうみえてしまいます。

後年あるいは後世、われわれはとんでもない奴を国の最高権力者に選んでしまったと歯噛みすることになるかもしれません。実際に選んだのは自民党員なのですが、あのとき熱狂的に小泉支持の世論を生み出し、強力にバックアップしたのはまぎれもなくわれわれだったのです。

傷口をこれ以上広げないためには、絶対に安倍晋三を後継にしてはなりません。かれを強力に推す中川秀直をみてごらんなさい。「類は友を呼ぶ」の典型ではないですか。中川は安倍の兄貴分であると称しているようですが、まさに両者が通じている"特殊な世界"にぴったりの「呼称」ではないですか。
安倍晋三はクレリックシャツがお好き
昨日の衆議院予算委員会をみていると、本当に安倍晋三追求までたどり着くのか、という疑念を抱かざるを得ません。一月半ば以降のながれでは伊藤公介の首根っこを押さえ、さらに安倍をも安晋会であわてふためかせ、と首尾は上々の感で次のさらなる追い込みを期待していたのです。しかし、伊藤の喚問さえいまだに実現できずにいるではないですか。もちろん自民党が抵抗しているからでしょうが、あまりに手間取っていると世間のひとびとは当初の真相究明の熱気を失い、"自民党の抵抗=後ろめたいことがあるから"という図式さえ忘却の彼方へやってしまいかねません(ましてや秋篠宮妃紀子さま懐妊の話題などで興味を削がれるとなおさらです)。

昨日、ヒューザー小嶋から安倍の秘書への口利き依頼の件にはもはやひと言も触れられていませんでした。ライブドア事件にしても堀江への党ぐるみの応援についての追求はあっても、怪死したエイチ・エス証券前副社長・野口英昭が安晋会の理事であることを野党の質問者はおくびにも出していないではないですか。与野党で何かバーター取引しているのではないでしょうね。

幸い新潮そして(とくに)文春をはじめ週刊誌ががんばってくれていますが、反面、新聞・テレビが安晋会に突っ込んでいないのが非常に歯がゆく感じられます。
羊の皮をかぶった安倍晋三は、連日、記者会見に臨んでいるようですが、まったく憔悴ぶりが見られません。それだけ追い込みが足りない(というより、有効打がまったくない)ということです。

以下、くだらないことですが。
最近何度か会見の場面を見るともなく目にしましたが、安倍は(以前からそうだったような気もしますが)クレリックシャツ<襟やカフスが白地で他の部分が色付きかストライプのシャツ>を着る頻度が高いように感じたのですが、実際愛用しているのでしょうか。昨日も紺のスーツにクレリック、プラス深紅のネクタイを組み合わせていました。(麻生太郎もクレリックシャツを好んでいたような。それも青地で襟がラウンドカラーの)
東横イン社長:初めの放言(迷言)の元気はどうした
東横インの偽装工事が発覚したのち、1月27日の会見で社長西田憲正はこう発しました。
「条例違反をしました。どうもすみません」
この発言の文言だけをみれば内容はたしかに謝罪なのですが、西田社長の態度と声調子が加味されると、到底そうはみえない会見となりました。

姿勢(内心ではなく外見の)
これから頭を下げるのですから威儀を正して机に正対すべきところですが、かれは斜に構えていたか、肘をついてはいませんでしたか。

「条例違反をしました」
キッパリというかアッサリというか、まったく悪びれたところはありませんし、真摯なものも感じられません。かれの気分を忖度したセリフにすれば「いやぁ、条例違反、めっかっちゃいました」といったところでしょうか。

「どうもすみません」
このときかれは耳のあたり(の髪?)を掻きながら発言していました。このとき頭は下げなかったか、しても軽い会釈程度ではなかったでしょうか。「すみません」の発音も「すんません」に近かったような。

くわえて、以下のような迷言のオンパレードです。
[東横イン社長:初めの放言(迷言)の元気はどうした]の続きを読む
寛仁さま発言問題:朝日新聞、再反論しない不思議
朝日新聞は2月2日に引き続き4日の社説でも皇位継承の問題を取り上げました。「皇室典範 ここは冷静な議論を」です。間の3日に産経新聞が社説で反論しましたから、取り上げた題材の連続性からいって4日の朝日社説は再反論だと多くの人が思ったとしても不思議はありませんでした。

ところが産経に言及したのは最後尾の一節だけでした。

この社説(2日朝日)に対して「言論機関が皇族の言論を封じるのか」という反論も寄せられた。しかし、皇族だからこその言論のルールがある。それを指摘するのはむしろ言論機関の責務ではないか。

これだけです。非常にあっさりしたものです。残りの大半は2日付社説の焼き直しに終始しています。前回のエントリでも指摘した昨年の教科書問題のやりとりで見せたパワー、執念はどうしたのでしょうか。

有識者会議の決定を「私たちは『妥当な結論だ』と支持した」とあります。天皇制反対の朝日新聞が"支持"しているのですから、将来に制度崩壊を招くような芽を内包する、そう朝日が期待できるような案なのでしょう。何十年先かわかりませんが、実際に女系天皇が誕生すれば今度は「やはり男系でないといけない。一旦こわれた天皇制は意味を持たない。この際廃止すべきである」というマッチポンプ的なキャンペーンを張ることは彼の社では十分に考えられる事です。

いつもならば、こじつけてでも再反論するはずの朝日がそうしなかったのはなぜでしょうか。まさか最後の"らしくない"一文「ここはぜひ冷静な議論を望みたい」を書きたいがための隠忍自重(のふり)ではないでしょうね。
産経新聞:朝日「不敬社説」へ反攻(お約束どおり)
昨日の朝日新聞社説「寛仁さま 発言はもう控えては」に対し、産経新聞は本日、期待に応えるかのように「朝日社説 『言論封じ』こそ控えては」と切り返してきました。

寛仁殿下の発言の趣旨を「国民的議論が不十分であり、現時点での改正とは拙速ではないかという問題提起」とした産経の主張は、少なくとも昨日の朝日とは比較にならないほど"落ち着いて"展開されていたように思います。それほど朝日の社説子は「天皇制反対」という感情をクールダウンせぬままに筆をとったようで、その気分が前面に出過ぎてしまったうえに論理の整合性にも欠ける、社説としてふさわしいとはいえないものになったような気がします。

さあ、朝日は再度「返歌」で応じるでしょうか。(昨年教科書問題に端を発した両者の応酬を想起します。詳細は、無断ながらこちらのブログにリンクさせていただきます)

蛇足ですが、森喜朗が自派閥議員が改正慎重派集会へ出たことに訓示しています。「(集会へ)出るなと言ってるんではないんです。出てもらって結構。ただ立場をわきまえてほしい」って、「出るな」という解釈以外どうとれるのですか。

このひと、派閥集会とか自派閥議員のパーティー(のような場)でいろいろと政府や党を牽制する発言をしている場面がたまに流されます。ポスト小泉に関してもあたかも自分がキングメーカーであると勘違いしている節も見受けられます。そのような親分ぶりを発揮しているように一見みえる場には積極的にカメラを入れさせているのでは、と思ってしまいます。そこで隠然たる力をおおいにアピールしたいのでしょうが、そもそも世間は誰も大物とは思ってませんよ、あなたが総理在職のときからずっと...
朝日新聞:ご不敬な社説掲載、波紋や如何に
本日、朝日新聞が社説「寛仁さま 発言はもう控えては」で真骨頂を示しました。その道には疎いのですが、タイトルの付け方もいわゆる「築地をどり」にかなっているような気がします。
近日中には大きな波紋としてかえってくるのではと予測されます(賛否ともに)。

論旨は、女系を認める方向で皇室典範の改正案を今国会に提出しようとする小泉政権の動きがみえるなか、寛仁殿下は現状の男系維持の主張を昨年来活字メディアを通して行っているのですが、そういった発言は「もういいかげんにやめられよ」(原文にはなし。意訳)というものです。「皇族として守るべき一線を超えているように思う」という大胆な、ある意味"一線を越えた"表現で論評しています。ここまで踏み込みえたのは、これが天皇の発言でも皇太子の発言でもなく、"脇の"ご一族からの発言であったからでしょう。

野次馬的観点から朝日の心理の推移はこう見えるのですが。

  1. 朝日のスタンスは天皇制反対(確固たる事実)
  2. 有識者会議、女系容認
  3. 皇族(寛仁殿下)から反対意見
  4. 朝日、皇族(ひいては天皇)が嫌がることなら大賛成
  5. 皇族、続々と反対意見開陳
  6. 朝日、ブチ切れて「いいかげんにせぇよ」

社説の初めのほうに「(寛仁殿下は)機関誌に随筆を寄稿したのに続き、月刊誌『文芸春秋』などでインタビューに応じた。さらに産経新聞と、同社が発行する雑誌『正論』にインタビューが載った」とあります。
野次馬としてはさらにこう見ます。天敵・サンケイグループの跳梁ぶりが許せなかったのも大きな要因ではないか、と。
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