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わたしが近ごろかんがえていることを徒然なるままに...
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WBCは評価に値せず:絶賛の渦のなか敢えて言う
ようやくWBCの喧噪がおさまったようです。「日本、優勝おめでとう」「すばらしい大会だった」「感動した」等々すさまじいまでの大絶賛のあらしでした。それも日本国内だけの熱狂なのではなく、海外メディアも日本の活躍や大会そのものを高く評価していたのです。

この話題が下火になったところを見計らって、異論を書いておきたいと思います。

運用面での問題を指摘しながらも最後は日本チームを讃える論調が大勢を占めているのですが、どこかでこの流れに逆行する、つまり批判を主とする意見はないものかと様子を見てきました。が、本日までのところ、わたしの目にとまったのは週刊新潮 3月30日号のみです。記事は読んでいませんが見出しから察するにネガティブな内容かなと察せられます。

熱狂「王ジャパン」の冷たい舞台裏
「福留の一発」で消された王監督の「采配ミス連発」
「異様な躁」状態でチームから浮いていた「イチロー」
「熱くない」と豊田泰光氏に批判された「チンタラ選手」
「冷たい視線」を浴びた「松坂と上原」の快投
「長嶋ジャパン」なら出場したという「松井秀喜」

わたしは、世の中にはどうもほとんどいないらしい、批判派のひとりなのです。なにせあの熱狂の中の準決勝、決勝を含め1次リーグから一試合すら見ていません。ニュースのスポーツコーナーでも努めて無視してきたほどの"変わり者"です。

各メディアで「運用面の問題はあるが・・・」と報じられたその「問題」をわたしは大目に見ることのできない"大問題"ととらえており、そのひどさ加減にとても世界一を決定する大会とは認められないのです。したがって個々の試合がどれほどドラマチックに展開していようが好意的に見れなかった、という次第なのです。出場した各国がなぜあの条件を飲んだ(押し切られた)のか全く合点がいきません(まず初回となる大会開催そのものに重きを置いたとしても、あのルールはひどすぎます)。

数ある運用面の問題のうち4つをあげます。これだけで「WBCに価値なし」を論ずるに十分です。

  • 審判団が第三国ではない

  • アジア・北米グループと中南米グループが決勝まで対戦しない。そもそも組み合わせ抽選さえなかった

  • 同率チームの順位付けは失点率によるが、対極の点数である「得点」を無視する論拠はなにか

  • シーズン本番を考慮したピッチャーの投球数制限だが、野球の本質からは大きくはずれるもの

審判の問題はサッカーで証明済みの常識です。また、投球数制限をレギュラーシーズンに適用しようとしたら絶対に受け入れられない愚策であることは明らかです。そんな"へんなルール"を組込んだ大会が正当なものといえるでしょうか。

それからイチローの饒舌ぶりやリーダーシップが話題になりましたが、わたしはこれについても本質は別なところにあるのでは、とみています。

イチローが元マリナーズの長谷川や女子プロゴルフの宮里藍のように英語でマスコミと応対ができるという話は聞いたことがありませんし、通訳なしのインタビュー映像も見たことがありません。ということは英語での意思疎通は十分ではないとみてよいでしょう。日本語では理路整然とした発言をするかれが、英語ではそうできないジレンマがあるのでは、と想像してもそれほど的外れではないと思います。

それが今大会では全員日本語が通じるメンバーで、後輩プレーヤをからかいながら野球ができるという"喜び"(久しく忘れていた体育会のノリ)が感じられたのではないでしょうか。もちろん他の日本人プレーヤとちがい、メジャーリーガとして米本土に引率していく――高慢な意味ではなく、例えば、東京住まいの先輩が田舎の後輩を迎えるような――という意気込みもあったのではないでしょうか。

かれが入団した2001年の地区優勝以来、マリナーズはプレーオフにはとんとご無沙汰です。毎年プレーオフで活躍している松井秀喜や初年度でワールドチャンピオンの一員になった井口が気にならないはずがありません。そんなチームとしての高い目標に飢えたイチローがプレーオフに近い――本音では"似て非なるもの"と自覚しながら――WBC参加へのモチベーションを無理矢理にでも昂め持続させるための手段として、いつになく積極的にマスコミへ応対し、過激ともとれる発言を連発したのではないでしょうか。

それと、巷間かれはクールだとか寡黙などといわれますが、本来は目立つことが好きなのではと思っています。
一例をあげると、2003年だったと思いますが、オールスター最多得票のインタビューで開口一番"Holy cow!"でスタジアム中が大ウケしました。このときの開催地シカゴにもちなんだこの言葉ですが、とっさに出た本来の感嘆詞ではなく当然事前に"練った"ものでしょうし、フィールド以外でもここ一番での存在感を示す気概(つまりは目立ちたいという気持ち)はつよいことが感じられました。

以上をまとめれば、本来イチローは朗らかな明るい奴なのだが、メジャーでは言葉の壁にぶつかり――それでも中南米選手のように発音も文法も気にせず会話するには、クレバーなプレーヤとして通っているだけに尚更、プライドが許さず――ロッカーでも黙々と道具の手入れに励んでいた。そんななか今回国別世界一と銘打つ大会への、それも心置きなく日本語でコミュニケーションがとれるチームでの参加となった。擬似ではあれ久々にプレーオフの感覚が味わえるのもうれしい。
その結果が文春のいう「異様な躁状態」だったのではないか、とわたしなりに分析しています。

最後に、日本は出場を拒否した最初の姿勢を貫くべきでした。しかし結果は"やった者勝ち"となり、MLBとテレビ局はあらたな金のなる木を得てほくそ笑むことになりました。
今後FIFAワールドカップに相当する大会を目指すのなら、まずMLB主導を排し、国際野球連盟(IBAF)が一枚噛む(できれば主催する)ことが肝要だと思います。
しかし、なおいびつなまま第二回大会を迎えたとしても、日本では煽り煽られ再び熱狂することになるとは思いますが。
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