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わたしが近ごろかんがえていることを徒然なるままに...
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中田英寿:ホントにすごい選手だったのか
中田英寿引退では一般紙でさえスポーツ欄の1ページまるまるそれに割くほどの騒ぎになっています。わたしが彼の存在を初めて知ったのは、日本の初出場となった1998年FIFAワールドカップ・フランス大会、そのアジア予選だったと思います。当時から「傑出したプレーヤ」と言われていましたが、わたしは現在に至るまでそれに疑問を持ち続けてきながら、しかしこの先も日本代表での彼の影響力はまだまだ健在なのだろうな、とネガティブに思っていたところへ引退報道を聞いた、という感じです。

性格上のことは措くとして、純粋にサッカーのスキルにおいて、彼は巷間言われているように、本当に「すごい」プレーヤだったのでしょうか。
あたまに付けるべき形容詞が省略されていたのではないでしょうか。「日本人のなかでは」とか、最大に讃えても「アジアを代表する」という冠が。
わたしには、彼がどうしてもワールドクラスのプレーヤには見えず、意図的かどうかは別にして、マスコミも相当に買いかぶっているようにしか思えなかったのです。

そんなところへ、嫌悪感が込められてはいるものの、彼の海外クラブでの実態がうかがわれるスレッドが"2ちゃんねる"にありました。"悪意"のバイアスを割引いて読んでも、われわれが知らされている大活躍のスーパースターのイメージとは大きなギャップがあることは否めません。"【芸能】中田ヒデ映画では現役続行…「GOAL!3」は予定通り出演"から該当部分を以下に載せます。

中田の真実その1

1998-1999シーズン 海外移籍1年目 
所属 ペルージャ 
セリエA 33試合10得点

中田が海外で本当に活躍したのは無名の日本猿として舐められ、マークも緩かったペルージャ1年目の前半だけ!
その1年目も後半になると相手チームから研究され、ガチガチにマークされて全く機能せず、イタリアのスポーツ誌の評価もずーと「糞!」を示す5点台だった。

中田がガンとなったチーム自体も後半は負け続きで順位は急降下し、降格争いに加わり最終戦までもつれ込む。
さらにそこで負けたにもかかわらず、恵まれてセリエAにギリギリ生き残った。

中田の真実その2

1999-2000シーズン 海外移籍2年目
所属 (前半)ペルージャ 
セリエA 15試合2得点
 
所属 (後半)ASローマ   
セリエA 15試合3得点

2年目もペルージャは営業面を考えてか、
機能しないとわかりきっている中田をあえてトップ下に据えたチーム作りを行ったことが弊害となって、どんどん負け続け降格圏内を突き進むw
しかし後半、中田がローマに移籍していなくなったとたん、急に勝ちだして最終的には中位でシーズンを終えたw

一方その中田大先生、ローマに移籍当初はトッテイの欠場した試合で代わってトップ下を任され、モンテッラ、デルベッキオらの伊代表クラスを自在に操り大活躍!
これはトッテイ以上!とおもわせた試合が・・・まあ1~2試合だけあったw

しかしあとはもう得意のタコパス連発で周囲と全くかみ合わず、トッティのスペアとしても使えないことが次第にバレてしまうw
またボランチでテストされるも守備が全く出来ず、ボール奪われまくりで監督のカペッロをあきれさせたw
結局シーズン終盤には高い金を出して仕入れたのに全然使えない欠陥品としてベンチを暖め、既に優勝争いから脱落しCLも圏外となっていたチームの、日本人観客動員やグッズ販売等の営業政策上、終盤に顔見せ出場するだけの選手となっていた。

中田の真実その3

2000-2001シーズン 海外移籍3年目
所属 (後半)ASローマ
セリエA 15試合2得点

リーグ戦出場試合は半分以下、先発出場に至ってはたったの5試合w
そう、スーパーサブとして活躍し、ASローマのスクデット(優勝)獲得に貢献したことになってるのがこのシーズンwww
しかし実際は要らない選手として干されっぱなしで、リーグ戦ではベンチ入りすら出来ない試合が続くというトホホな状態だった。

さらにトップクラスのチームとしては、CLを逃がした証であり出場すること自体が恥ずかしい、UEFAカップ要員としての出場がメインステージという、ほとんど2軍扱いの晒し者だったw

そんなこんなでこのシーズン、中田がリーグ戦で活躍したといえるのは実は1試合のみ。
優勝争いをしていたユベントスとの終盤の直接対決で、0-2とリードされて敗色濃厚となり、ほぼあきらめて、次に備えレギュラーを休ませるために後半30分近くに途中出場させた中田が、たい~へん貴重なシーズン全2得点中の1点をまぐれで叩き込んだw
さらに中田が適当に蹴ったシュートを、相手GKのファンデルサールが弾いてしまいたまたま詰めていたモンテッラがそれを押し込むというラッキーもおこり引き分けに持ち込んだという試合があった。

あとは殆ど何もしていない、つーか足引っ張ってただけw

しかし優勝決定後のTVのマンセー番組で、当時ユベントスに所属していたジダンにわざわざインタビューを取りに行き、「中田のおかげで優勝を逃がした」と無理やり言わせるなどマスゴミが必死に虚像を作りあげたことなどもあり、「スーパーサブとして優勝に貢献した」が日本では定着してしまっている。

中田の真実その4

なおそのユベントス戦でのまぐれの活躍で調子に乗った中田は、日本代表のフランスとのコンフェデ決勝戦を、トルシエと喧嘩してまで欠場し、セリエA優勝がかかる試合に出場するためにあわててイタリアに戻った。
にもかかわらず、その試合結局最後まで出してもらえず大先生はおもっきりピエロとなったw
だが運良くそこでは優勝は決まらず、次の本拠地でのパルマ戦に持ち込まれた。

その次戦、もちろん大先生はベンチスタートで勝負の蚊帳の外w
そこで3-0とリードし優勝はもう確実になった。
監督のカペッロは、前の試合で誰も必要としていないのに勘違いして必死になって戻ってきた大先生を、さすがに可哀そうにおもったのか、お情けで後半途中から顔見せ出場させた。
優勝決定の瞬間大先生がピッチに立っているのは実はそんな事情によるものw

だがマスゴミの歪んだ情報操作等によって、日本では優勝決定試合で大先生がゴールとアシストを決める大活躍をしたとおもっている香具師まで少なからずいるようだ。。。

中田の真実その5

もーまんどくさくなっってきたのでパルマ時代はひとくくりw

2001-2002シーズン セリエA 24試合1得点
2002-2003シーズン セリエA 31試合4得点
2003-2004シーズン セリエA 12試合0得点(前半のみ)

ローマから移籍金30億円以上、年棒4億強、背番号10をもらい鳴り物入りで移籍。
選手としてはとっくに下降線だったがw、商売的にはこのときがナカタバブルのピーク。
なぜこんな移籍が成立したのかは今もって謎だが、後のパルマの迷走→経営破綻の流れをみると、ジャパンマネーを無謀に当て込んだ、経営陣の気が狂っていたとしか思えないw

当然のことながら大先生は全く通用せず、1年目のリーグ戦先発は15試合のみで、
中盤から暫くはその高給取りの10番は完全に戦力外扱いでベンチの外w

2年目は多少持ち直すも、2列目、右サイド(つーかほとんど3トップの一角)として起用され続けた割には、4得点2アシストと地味な成績。
逆サイドで大活躍したムトゥと比較するとさらにそのしょぼさ加減が際立った。

3年目はまたベンチ要員に逆戻りw
一応マスゴミ的には監督と起用法を巡って対立したことになっているが、実は大先生が単に戦力として劣っていただけw

大先生がパルマで残した実績を総括すると、それまでリーグトップ7の1角としてCL常連だった名門チームを、お得意の降格争いに引きずりおろし、さらに高額の移籍金と給与で経営母体を財政破綻に導いたということ。
ただそれだけw

中田の真実その6

2003-2004シーズン 
所属 ボローニャ
セリエA 17試合2得点(後半のみ)

パルマでの3年目、途中出場も含め前半12試合出たが大先生は全然使い物にならず得点もゼロ。
とうとう戦力外となって、シーズン途中に弱小チームのボローニャにレンタル移籍させられ、給料ダウンも呑まされていよいよトホホなドサ回りを開始した。

そのボローニャで「セリエA残留の救世主」となったとまたマスゴミは持ち上げたが、実はそうでもない。2ゴールをあげただけ。
実際、パルマが完全移籍を打診するも、ボローニャはあっさり「イラネ!」と断っているwww 

中田の真実その7

2004-2005シーズン 
所属 フィオレンティーナ
セリエA 26試合0得点

すったもんだで海外7年目はフィオレンティーナに移籍。
またまたマスゴミは「名門に移籍!」と持ち上げたが、実際は財政破綻で空中分解して、一旦4部リーグのセリエC2に落ち、そこからなんとか再度這い上がってきた、バティやルイコスタがいて強かった頃の面影はかけらも無い、昔の名前で出ているだけの弱小チーム。

ちなみにパルマからフィオレンティーナへの移籍金は約3億4000万円といわれ、なんとローマからパルマに移籍したときの約10分の1に暴落wwwww
まさにナカタバブル大崩壊wwwwwwwww

実は移籍話の時点で既にパルマの運営会社が倒産状態に陥っていたため、
不良在庫である大先生を叩き売ってでも、とっとと償却整理したいという事情があった。
そこで複数のチームと最初から安値で交渉するも大先生の高い実力wからなかなか買い手がつかず、最後は結局そこまで下がってしまったらしい。

しかも買い取ったフィオレンティーナ側も普通に選手としてのナカタに3億円強支払ったわけではなく、そのオーナーが経営する婦人靴ブランドの日本本格進出のための話題作りとしての思惑が強かったといわれている。

そういえば「ベルマーレ平塚」も一度財政破綻してたよな・・・
いつも降格争いと財政破綻が付きまとう大先生www

中田の真実その8

その低レベルの糞チームであるフィオレンティーナでも、
10番をつけてレギュラーにすら定着できず、また定番のベンチ要員w
シーズン成績は途中出場も含め26試合に出て得点はなんとゼロ!アシストも1つだけ。
チームもまたまた定番の降格争いを最後まで続け、17位で何とか生き残った。

チームのオーナーからは「高い給料をもらって全然働かない給料泥棒がいる」とまでいわれる始末。
もうこのあたりで大先生は既に死んでました・・・。

ちなみに大先生がプレミアのボルトンに年間たった2000万円wwwwwで損切りレンタル移籍していなくなった、翌2005-2006のシーズン、フィオレンティーナは突然強豪チームに生まれかわる。
FWのトニが大爆発して31得点するなど絶好調で、前シーズンの17位からなんと4位に大躍進し、CL出場権まで獲得した。
ナカタ移籍効果も大爆発wwwwwwww

え?
とおもったらフィオは八百長疑惑でセリエB降格危機だって?
うは、生ける屍、中田大先生のたたりキタコレwwww

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