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トリノ五輪:フィギュアスケート会場の「黒」で統一のカメラマンたち
トリノオリンピックも日本時間で明朝閉幕を迎えます。「またもメダルに届かず」の連呼から最終盤での「荒川静香、金メダル」の喧噪...と、やっとそれにも終わりを告げ日常が戻ってきます。もっとも選手たちの帰国でもうひと騒ぎあるでしょうが。惨敗、悲惨のうちに演技を終えた安藤美姫を、それでもニュースバリューありとして追いかけるマスコミがいまからみえるようです。

フィギュアスケートに関していえばほとんど関心はありません。しかし、普段興味がなくとも、また馴染みがなくとも、(夏冬ともに)オリンピックでは見てしまうものです。オリンピックでの競技の大半はそんなふうに四年に一度注目するだけ、と言ってしまっていいかもしれません。

わたしにとってはフィギュアスケートもそのひとつであり、オリンピックでは"一応"毎回見てきました。しかし、今回は全く見る気が失せていました。多分に安藤が代表に選出されたことへの疑問と、彼女のキャラクターへの嫌悪感からです。その後も「4回転」という実現性の低いネタをひっぱり、「飛ぶ」「飛びたい」と言い続けていたのも不快でした。

いじわるな希望をいえば、安藤はこれで第一線に残ることなく競技生活を終えてほしい。それから、過去の実績に遡ってポイント化し、それを選考の基準にした結果、あきらかに上り調子の選手を差し置いて下降線を描いている選手をあえて選んだ協会もしっかり総括すべきだと思います。

閑話休題。
上のような状況で、金メダル獲得を知ったにもかかわらず、荒川のフリーの演技を見たのはその日夜のニュースでした。その日以降何度も繰り返される映像を見ているうちにあることに気づいたのです。

スケートリンクのまわりは「TORINO 2006」と書かれたカラフルなフェンスで囲まれています。その最前列には多くのカメラマンがいて望遠レンズの放列を敷いています。彼らは世界中のプレスの、それも選りすぐりのカメラマンたちでしょう。テレビが演技を余さず中継しているとはいえ、スチールカメラしかとらえられない瞬間のすばらしさは別物です。荒川の動きを追ってレンズが一斉に向きを変えるのをみていて心に迫るものを感じました。同国民として――単にテレビで見ている一庶民なのですが――何とも名状しがたい誇らしい気持ちになりました。

次の瞬間、ひょんなことに気づいたのです。カメラマンたちがみんな黒いウエアを着ているのです。そのわけは(自分なりに)すぐに合点がいきました。カメラマンたちの背景がまた黒だったのです。つまりなるべく目立たないように、なるべく演技者の邪魔にならないようにとの配慮なのだろう、と思い至ったのです。

と同時に、対照的なリンクのことを思いだしました。
記憶違いでなければ、伊藤みどりが出場したアルベールビル大会だったと思います。そのときのリンクはフェンスの一部がテレビカメラ用に間口があいていたのです(例えれば、フェンスに2カ所縦に切れ目を入れてそこだけ撤去したかたち)。その前で伊藤が転倒しなかったでしょうか。もしかすると他の選手だったかもしれませんが、そのぽっかりあいたテレビカメラの付近でのジャンプで何人かが転んだように記憶しているのです。当時それを見ながら、選手は視覚的にやりにくそうだと思ったことを確かに覚えています。

そんなことを思いだしたので、今回の黒衣風の"配慮"が選手のことを第一に考えた、オーバーにいうと人間工学に則ったすばらしいものに感じられたのです。
これはオリンピック主催者独自の考えによるものなのか、スケート連盟の規格なのか、テレビ局の意向なのかはわかりません。たとえばNHK杯でのカメラ席はどうなのか、普段フィギュアスケートをみないわたしはわかりません。
もし、規格ではなく独自の"配慮"だとすればその当事者を絶賛したくなる、そんな「小さな引っ掛かり」でした。
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