I have something to say
わたしが近ごろかんがえていることを徒然なるままに...
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
朝日新聞:五輪「強い者が勝つとは限らない。勝った者が強い」はぁ?
今日掲載された朝日新聞のトリノオリンピックに関する社説は論理的におかしくはないでしょうか。

朝日はこう言っています。

 (優勝候補が勝てなかった)原因は様々だろう。体調のピークを合わせる難しさ。注目の大きさとその重圧。それが4年に一度しかない五輪の面白さでもある。しかし、この波乱の連続を番狂わせとは呼びたくない。

 スキーのジャンプで、2季続けて君臨してきた年間王者をラージヒルで破ったのは19歳の新鋭だった。バイアスロンの男子では、前回4種目の優勝をさらった強豪を抑え、3冠を手にした新しい王者が生まれた。

 スポーツは、強い者が勝つとは限らない。勝った者が強いのだ。

「強い者が勝つとは限らない。勝った者が強いのだ」という文章中の「強いもの=優勝候補」であり、ジャンプの例でいえば「勝った者=19歳の新鋭」ですね。
これを朝日は「番狂わせとは呼びたくない」そうですが、一般に世間では「番狂わせ」、英語では「upset」などと呼ぶです。重圧などで優勝候補が前評判どおり勝てないこと(=番狂わせ)が稀にあるので、自分でもそれが「五輪の面白さでもある」と言っているではないですか。

そもそも「強い者が勝つとは限らない。勝った者が強いのだ」とは社説子の自作でしょうか。それともなにかの引用でしょうか。いずれにしても、たとえば(広く認知されている)「試合に負けて勝負に勝つ」程度のわかりやすさがほしかったところです。これでは似非哲学者が吐きそうな文句ではありませんか。

それでは「番狂わせとは呼びたくない」理由は何なんでしょうか。「やはり人一倍の練習量で決まるのだ」とか「根性があるかないかなのだ」と続くのであれば、その是非は別にしても"文章としては"成立します。しかし、それに相当する一文が全く見当たりません。

不思議なことに自国である日本に関しては、フィギュアの荒川についても、日本の惨敗ぶりについても全く述べていません。そのかわり、これから五輪招致するならドーピング対策をしっかりしろ、とこれだけです。当初掲げられたメダル目標5個など、朝日にすれば十分に突っ込み甲斐がある総括ができるはずなのですが、どうしたのでしょう。

オリンピック閉幕にあわせた社説としてはなんとも論点のはっきりしないものです。スポーツやオリンピックにあまり興味をもってないひとが、ほとんど観戦することなく書いたのものではないでしょうか。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。