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わが国に国際的な科学者はいても政治家となるとどうでしょう
ライス米国務長官、ストロー英外相がイラクを電撃訪問した、と報じられています。それに至る経緯は、2005年10月アラバマ州のライスの生家訪問への答礼として今度はストローがリバプールを経て自分の故郷ブラックバーンへライスを招待したというもので、その2日間の滞在後のイラク訪問です。

「電撃」という行動ほど日本の政治家には似合わない、あるいはほど遠いものはないでしょう(小泉訪朝でも「電撃」が使われましたが、実際は記者発表後半月以上を経てからの訪問です)。日本にとっては、自衛隊のスクランブル発進といった軍事的なものを除けば、政治的には"電撃"行動すべき必要性がそもそもないでしょうし、国際世論に自己の存在をアピールするためのパフォーマンスとしてのその種の行動も日本には似合いません。それはなぜかというと、結局日本は経済大国としての存在は非常に重要ではあるが、国際政治を仕切るキー国ではないということを自他ともに認めているからではないでしょうか。

以上の事柄から発して、はたして日本および日本人は政治(国内であれ国際的であれ)に向いた国家、民族なのだろうか、という疑問がわいてきました。

日本には世界的に評価されている医学、科学、建築、企業経営などにおける逸材を過去も現在も輩出しています。反面、わが国は世界をリードする政治家を生んでいるのでしょうか。たしかにその時々の首相がG8に出席していますが、あれは単に"Japan"という席が、経済大国であるという理由で、いつも用意されているからで、そこに座るものが力量ある政治家であることを無条件に保証するものではありません(他国のメンバーについても同様ですが、少なくともその中の二国は今回「電撃訪問」でその影響力を示してしています)。

上であげた世界的に実績を認められた日本人たちには裏付けとなる確固とした成果物があり、それらがそれぞれの国際舞台で評価されるわけですが、それでは政治家のとっての成果物とはなんでしょうか、そしてその検証は何を持ってすればよいのでしょうか。

たとえば同じ議会制民主主義を敷いているイギリスと比較してわが国国会議員の責任や意識および力量はたいして変わらないのか、それとも大きな差がついているのか――どうやって数量化するのか疑問だが――知りたいものです。
また、卑近な例をあげれば、杉村大蔵はかつてのイタリアでのチチョリーナの存在と同列にみておけばよいのでしょうか。

このような疑問に答えてくれる、先人が著わした書籍が存在しているのは間違いないとは思うのですが、いくらインターネットで便利になったとはいえ、自分に適した答えになかなか到達できないのが歯がゆいところです。
とはいえ、国民のレベルが議員のそれに投影される、というよく耳にする結論で断じられて終わり、ということになりそうな気もするのですが。
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