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わたしが近ごろかんがえていることを徒然なるままに...
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水俣病50年:「怨」の幟(のぼり)に込められていた思い
水俣病が公式に確認されてから今日で50年だそうです。

以前NHKアーカイブスで放映された、水俣病患者の抗議活動が最も盛んだったと思われる昭和40年代半ば頃の映像は胸を打つものがありました。

白装束の巡礼姿と「怨」の一字が染め抜かれた何流もの幟がはためく様は胸の内を揺らさずにはおかない強烈な場面でした。

障害に冒された我が子をつれての陳情の場面だったでしょうか。母親がチッソのお偉方か役人かにこんなこといっていました。
「この子を見てやってください。こうして(我が子の)醜態を人前に晒してまでやって来ました」
土地の言葉での訴えがなおさら胸を打つものでした。

あのときチッソ、政治家、官僚たちはどういう気持ちで相対したのでしょうか。わたしが当事者なら神妙な顔をしながらも、なるべく相手の声を耳に入れないようにして全く違うことを考えながら、はやく終ってくれと願ったかもしれません。それほどにいたたまれない状況だったのではと想像します。

数日前の毎日新聞に当時の首相、三木武夫が水俣病に罹った子どもを抱いている(親から無理矢理預けられたようにも見える)写真が掲載されていました。

これをみて、われわれが持つ偏見のために、接触するのにも一瞬ひるんだり、躊躇したりするような類いの人たちに対して、近年の首相たちが(例えばダイアナ妃がHIV患者に対したように)物理的に接触することが果たしてあっただろうか、と想い至りました。
パフォーマンスの要素が大きかったとしても、まだ一国の指導者が障害者と直に接することができる、またはそうすることを求められる時代だったのかもしれません(三木首相個人の特性だったのかもしれませんが)。
いまでは、為政者はその任にあらずとその役割は専ら皇族まかせになっているようにも見えます。

MSN毎日インタラクティブ"あす公式確認50年 患者ら、怒り秘めて静かに行進--都内で"の写真では「怨」の幟は小さくなり、そして数も多くは見えません。

あの当時の"怨念"を源とするエネルギーは時間の経過とともに確実に減じました。活動の中心にいた世代はいまでは高齢に達したでしょうし、多くは亡くなったかもしれません。
本当に一生を台無しにされてしまいました。さらには数十年を経て最近になって発症した人もいます。子どもの世代、さらにその子たちといつまで戦い続けなくてはならないのでしょうか。
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コメント
この記事へのコメント
太平洋に放射性廃液を出しています
(ご迷惑でしたら削除してください)水俣病公式確認から50年という今、青森県の六ヶ所核再処理工場では放射性廃液を太平洋に放出しています。どうかこのことを知って下さい。どうか関心を持ってください。詳しくは以下のリンクを参照してください。

美浜の会
http://www.jca.apc.org/mihama/
再処理・プルサーマルをめぐる動き
http://fukurou.txt-nifty.com/pu2/
2006/05/01(月) 22:11:31 | URL | SenzaFine #-[ 編集]
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