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「一九七二」を読んで(上)
坪内祐三著「一九七二」(文春文庫)を読了しました。
著者のことは、よく購読している情報誌「ダカーポ」(マガジンハウス)の連載で知っていましたが、本格的な著作に触れるのは今回が初めてです。

小泉純一郎が首相から身を引くまで数ヶ月を残したいまの段階で、すでに新聞・週刊誌・オピニオン誌等はその功罪について総括し始めています。リアルタイムでそれらに接する身としては、主張Aのある点には頷き別の点では不同意、かたや主張Bについても同様に合点がいく面と承服できない点と...というふうな態度しかとれません。

小泉政権が今後おおきな変化をもたらすといわれているタネを数々仕込んだのは間違いありませんが、実際どう展開するかは未来のことですから今言えるのは予測に過ぎません。また現在問題になっている格差社会の要因の一部を既にこの内閣の責任に帰する向きもありますが、その本当の根は一体どこにある(あった)のかを見極めるには時期的にまだ早すぎるのかもしれません。

というのはこの本を読んだことでそう思ったのですが、こういうことです。当時はリアルタイムで判断できなかったか誤っていた事柄で、30年後の今ではほぼ確固たる答えが出ているものがあります。たとえば本書に載っていた「週刊読売」や岩波書店「世界」における北朝鮮大絶賛論です。まさに歴史は後世が判断するということです。よって小泉政権の本当の評価は数十年を待たねばならないだろうと。

ただし問題は予測が当たったから先見の明があった、外れた方を笑ってやれということではなく、当時様々な意見があったという記録自体が時代の空気を読み解く上で重要な資料になっているということです。リアルタイムに生きたときはわからなかった何か(たとえば大転回点だった)を見せてくれると思うのです。

この評論は現在(正確には月刊誌で連載していた2000~02年)からほぼ30年前をターゲットにしていましたが、ある時代を客観的に見つめるには30年くらい寝かせておくことが必要なのかもしれません。そうすれば良い加減に「歴史化」していてちょうどよいのかもしれません。10年だとまだ同時代の範疇だし、20年では端境期に当たるかもしれないし、30年で完全にひと昔と言いきれる目で振り返られるのではないでしょうか(幼少だったのが社会人に、中心にいた年代は引退と言う具合に世代交代もなされるし)。

今後は時事問題に限ってみてもリアルタイムではどの意見も"話半分"で聞いておこうかと思うのです。上記の「週刊読売」は極端な例ですが、一方に与していては視野が狭くなるという弊害があるからです。そのかわり聞こえ心地のよいものだけでなく、「そんなアホな」という類いも一応聞いておかなければなりませんが。
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