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日本代表:1998フランス大会でもキャンプ地で市民と交流していません
FIFAワールドカップ、日本の第2戦のクロアチア戦は0-0の引き分け。予選突破なるか否かは第3戦まで持ち越しとなり、少なくともそれまでは世の中の高テンションは継続することになりました。

ところで昨日日本は緒戦に引き続き現地15時(日本時間22時)開始の試合となりました。15時のゲームが2戦続くとは、酷暑の中だっただけにとくに目についたこともありますが、そんなチームは他にはないのではないかと思い調べてみました。

まず、予選リーグの最終第3戦だけは同グループ内で同時刻開始(現地16時か21時)ですが、第2戦までは規則性・公平性はなく現地15時、18時、21時のいずれかとなります。暑い日では後になるほど良いコンディションで試合に臨めるでしょう。

ラウンド16以降も含め日程は大会開催前から決められています。当然スケジュールを組む段階では決勝トーナメントに勝ち上がる国はわかりません。ベスト16確定後に試合時刻を組みかえる、ということもありません。第3戦は上述のようにグループ内同時刻開始という"縛り"があります(開催国ドイツでさえ第3戦は16時開始)。よってカネと引き換えに何らかの手心を加えられた(無理を言えた)のは1、2戦のスケジュールではなかったでしょうか。

1、2戦とも15時開始となったのは日本のほかはどうもセルビア・モンテネグロだけのようなのです。
日本戦について当然想像できる――というより、確固たる事実だろうが――のは、日本時間での22時が放送局に最も都合が良い、つまりはスポンサーのため、つきつめれば広告代理店のためだったということです。

この時期のドイツの酷暑は異例の気象状況なのかわかりませんが、広告代理店はそんなことには頓着することなく15時の"マッチメーク"を敢行したのでしょう。
皮肉にもそれが、勝敗は別にしても、日本代表のパフォーマンスを低下させるおおきな要因になろうとは...。
反対した経緯があるのかもしれませんが、最終的にこの方針に従ったJFAは選手よりも経済(カネ)優先の考えに同意したといわれても仕方がないでしょう。

閑話休題。以下が今日の本題です。
昨日のエントリ" カメルーンは中津江村で皆とふれあいましたが、日本はボンで何もしていません"を書いた後で、二度あることは三度ある(本当は、一度あることは二度ある、といいたいのだが)、もしかして1998年フランス大会でも今回のようになにも交流しなかったのではないか、という疑惑が沸き上がってきました。

そのまえに昨日の補足を。クロアチア戦を控えた6月17日付MSN毎日インタラクティブの記事、"クロアチアも応援 新潟・十日町"から引用します。

 4年前、クロアチア代表チームは公開練習の回数を増やし、子供サッカー教室を開くなど、積極的に市民と交流した。同市は大会後にチームが練習した運動場を「クロアチアピッチ」と改称。駐日大使らを招き、毎年「クロアチア杯」市民サッカー大会を開いている。今月初めには地元小学生がチームのベンチに飾ってもらおうと、約7000羽の千羽鶴を贈った。

こういうことなんです。地元のひと、とくに子どもたちにはおおきな感動を残して、それがその後もしっかり育っているのです。今回は日本のライバル国とわかっていても、それでも応援したい愛着があるのです。それに対して日本代表はボンのひとたちに特段の印象を残すことなくかの地を去ることになるのでしょう。
日本はやはりこういった本業(この場合ではサッカーの試合をすること)を離れたボランティア活動の意識が希薄だ、ということに帰結するのでしょうか。

さてフランス大会での市民交流はどうだったかです。
ビンゴーーーー!!
やはり何もしていませんでした。
日本政策投資銀行の"2002年サッカーワールドカップ開催に向けての地域の取り組み"に、日本代表のフランスでのキャンプ地・エクスレバンの当時の市官房長のインタビューが掲載されています。
該当箇所を引用すると

ボランティアによる生け花などイベントも実施したが、日本チームの滞在条件が一方的に厳しいものであったため、市民にとっては不満とまではいかなくとももう一つという感じである。サインをもらうのもホテルに近づけた一部の人だけであった。従って、日本の選手との交流は一切なく、到着と出発の日にホテルで市民が見ることができただけである。もっとエクスレバンの人たちは応援しようと思っていたはずだが…。市としてももちろん可能であれば交流イベントをしたかったが、せめてレセプションで15~30分のチーム選手紹介をするということだけさえも認めてもらえなかったので非常に残念である。

このときは日本にとって待望久しかったFIFAワールドカップへの初出場。まずは不甲斐ないプレーを見せることのないよう練習に専念しよう、地元には申し訳ないが交流をキャンセルすることになっても・・・・当時の日本代表に好意的にそう解釈したとしましょう。

しかしです。2002年の自国開催、キャンプ地では各国のプレーヤにじかにふれあい、全国ではその微笑ましい様子をテレビを通して知り強く印象づけられたはずです。あのときそういった経験したのですから、今度は自分たちがキャンプ地のみなさんとふれあう番、と考えるのはごく普通のことではないでしょうか。

JFAにとってFIFAワールカップとは単にサッカーで勝つことのみを考える場のようです。たとえ選手が嫌がったとしても強いて交流させるべきところを、JFA自体がキャンプ地では練習に専念させると言っているのですから。
キャンプ地での交流を(当然取捨選択しながらだが)代表としての一種の義務ととらえられないようでは、いくら大会で勝ち上がろうが、いくらFIFAランキングが上に行こうが、サッカー先進国とはいえないのではないでしょうか。
メディアには、勝敗や戦術だけではなく、こういう点にも言及してもらいたいものです。
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