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お上から「もらう」のは好きだがその逆は嫌いな日本人

  1. 税金・保険料

  2. 年金支給額

  3. 祝祭日


上に上げたのは国で決められる事柄でお金と余暇に直結するものです。
1が減り2,3が増えることに大衆は手放しで喜び、「よい国」と感じます。当然それに関連する法律の変更もあまり支障なく粛々とすすんでいきます。
対して1,2に逆のことが行われようとするとマスコミ・野党をはじめとして世論は「絶対反対」のあらしです。

祝祭日は減らされたことがないのであくまで予想ですが、ここ数年をみると、「谷間」にあった5月4日を無理矢理「みどりの日」と命名して休みにしたり、既存日の月曜日への移動(成人の日・体育の日など)によって実質的に増やすということが行われています。たとえば、今後の天皇誕生日が前例踏襲によってすべて祝日に制定されると仮定して、増える一方ではいけないので、そのかわりに「祝祭日が増えすぎたので一部廃止します。今回は成人の日にします。毎年各地で記念行事が荒らされて収拾がつかなくなってきたからです」などといったことが将来おこらならないでしょうか。そのとき増税反対とおなじような世論がおこるような気がするのですが。

日本が高度成長時代だった1973年、田中角栄内閣は国民年金の支給額を大幅に引き上げたそうです。当時おおいに人気を博した政策だったでしょう。この制度の将来的な弊害が20年以上も前から認識されていながら、今にいたるまで小手先の改革で先送りしてきました。「善政」と受け入れられたものが時代の流れによって「悪政」と化している一例です。
年金制度に限らずこのような失敗の責任は誰が負うものなのでしょうか。(ほんの一瞬時を除いて)その間自民党が政権を担ってきたのですから、本来は大衆がそのことを見極めて別の政党に任せるという行動をとってもよかったはずですが、実際はそうなっていません。それどころか、この前の選挙で「大まかせに、まかせる」ことにしたばかりです。

日本は、冒頭であげた例のように「もらう」とか「とられる」という損得感情が先に立つ未成熟な社会なのでしょう。それはやはりヨーロッパのように市民自身が勝ち取った「市民社会」ではないからだと思います。
税金は法律で決められている「義務」だからいやいや納めるが少ないに越したことはない、できればチョロまかしたい、というのが日本。自分が市民社会の一員であれば収入に応じた納税はあたりまえであり、その分政府のやりかたは監視していく、という欧米。
日本をはじめアジアの国々にはそういう意識がそもそも根付きにくいのだ、という説もあります。経済の発展規模で国力を判断すれば上位に位置する日本ですが、数値化がむずかしい国民の成熟度からみるとかなり低いところにいるのではないのでしょうか。逆に言うとGDPはそれを糊塗する一種のおまじないなのですね(時事ネタに絡めて、粉飾決算に加担している会計士の役割、というと言い過ぎでしょうか)。
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